レスポンスのレスポンス(なんか字面が間抜けだなぁ)
id:automate_tomo:20040301に長文が!というわけでレスポンスにレスポンスを重ねてみる。
特に書籍等の感想があるわけではなく、日常のメモ書き等としてこのシステムを利用しているというのは私と同様である、というだけの共通点なのであろうか。
他にも年齢が比較的近いみたいだし(私は1977年生まれ)、関東に住んでいるみたいだし(私は都内の某大学へ通っています・・・ばればれか)、理系学生(ですよね?)だし、・・・と並べてみるものの、特にid:autmomate_tomoさんがこのページを面白がってくれる理由となりそうなのはないですね。
彼(でいいですよね?)の記述を読んでいると、共感することが多く、尚且つ気取った単語・文体でしか自己を綴ろうとしない穿った私とは異なり、率直で鋭い物言いをすることで、彼の文章は私の言い得ないことを表してくれる。
こんなに自分の文章が誉められたのは、たぶん初めてです。これが最後になるかも〜。自分の文章を後で読んでも、とても「率直で鋭い物言い」には見えないんですが・・・。「だらだら書いていていかんなぁ。でも推敲するの面倒だし、このままでいいか」という感じでいつも書いているし。でも、それなりに自分が書いたものには愛着があるので、共感してもらえると素直にうれしいです。
私は自身の感情をパラノイアチックに語る。
どこまでが本心なのか、ここに紛れ込んできた見知らぬ他人には作り事…少なくとも事実を基にした絵空事のように感じられるであろう表現でしか語れない。ここまで来て羞恥だろうか。
羞恥などではない。これは脆さ。
私の築き上げてきた25年の脆弱な壁。
id:autmomate_tomoさんのページを見たときの第一印象は「ウネウネ・ネメヌメしてる」なぁ、ってこと。そして、「こういう風な表現もあるんだな」って思った。「交えて書く人なんだ」って思った。
私の編集方針はいい加減だけど(そもそもmemoで、さらに下書きだし)、散文と韻文は明確に分けて書こうとは思いました。詩を書くときの衝動の方が散文を書くときの衝動より強いけど、詩は自分から切り離して遠ざけたところにおいておきたいからです。「詩の主張とは私はかけ離れたところにいます」、って思って欲しい。それは羞恥からかもしれない。でも、「理解してくれる人には理解して欲しい」、という甘えも多分あります。「こっちが本当はいいたいことなんだ!」・・・私はこれをずるいとは思いません。科学でやったら駄目だけど。それが自分の本心を詩に隠し、「機微をわかって欲しい」に繋がり、脆弱性にもつながるのかもしれない。でも、「本当に詩が本心か?」と問われるとやっぱり違う気もします。よくわかんないです。
実は端から一人であったガラスの不完全球体におけるアンドロギュヌス願望。
誰かと共有した孤独感をチラチラと小出しにしてみる臆病者の飢えた目線。
難しくなってきた。アンドロギュヌス(両性具有)かぁ。何のメタファーかなぁ。ミミズは両性具有だっけ?でも一匹じゃ繁殖できないかったような・・・。なんか違う方向へ行っている気がする。自分一人だけで完結したいという望み?ん、まぁ、ここら辺は深く解釈する種のことではないですね。
何も思わせぶりにしているつもりはないのです。
「思わせぶり」なんて書いて失礼しました。でも、主体と対象とをはっきりさせないと、そう感じてしまうんですよ〜。それが一般論なのか?それとも個人のことなのか?意図的に伏せておくと思わせぶりになるのかな。でも、それが悪いと言いたいわけじゃないです。そもそもコメント欄にかけることって限界ありますし。