書くということ、コミュニケーション

極東ブログhttp://finalvent.cocolog-nifty.com/で「アジア人に日本を開く」http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/03/post_4.htmlというのがあった。気になったことだけ少し引用する。

文章というのはどこかしら、その人の経験というか思いの一端がにじむところに真価があるのであって、巷の文章術の類がアホくさいのは、その経験を問わないからだ。経験が人に強いて書かせるのであって、書くために書くのが書くという行為ではない。

コミュニケーションは、わかってくれない人間にわかってくれよ、ここまで俺はカードを切るよと、関わることだ。

これらの点についても後で考えます。コミュニケーションについては山形浩生が面白いこと書いていたけど、それもあとで探しておきましょう。

下記は昔考えた文章。

<演技>
コミュニケーションにおける
演技である部分と
演技でない部分との
微妙で きわどく 刺激に満ちた 緊張

演技は本心を隠すため?
演技は真心を伝えるため?
演技自体の価値は?

技を用いる 自覚をせずに
技を研く 目的はそれ