例によってコメント

http://d.hatena.ne.jp/automate_tomo/comment?date=20040302#cを読んで考えたこと、思ったことをつらつらと。あまり内容がないことばかり書いてしまった気もする。こんなのならコメントしないほうがましかも。どうでもいいことはスルーということで。

後付解釈になるのかもしれないけれど、考えてみたら、人間は一刻一刻の化学反応により、常に変化していく生成物なのだから、「さっきのはナシ!」と言ったところでそれは悪いことではないと思うのだ。

そうですね。理由をちゃんと言わないと、相手に不信に思われるかもしれないけど。

まとまらずに膨張していた考えに、何か示唆されるとキレイな集合体に変化したりね。点在していたときには自分でもその輪郭を見出せずに、不的確な言葉で表現していたものが、今ではその明確なラインからもっと適した表現が出来るかもしれない。

考えても考えても明確に割り切れなかったものが、ある瞬間に切り口が見えて、解釈しやすくなるとうれしいですね。

また、言葉自体の意味も環境的な変化だけでなく、もちろん、その発した本人の経験の蓄積によって、多少は変化していることもある。…とこれが言い訳です、うが。他人に指摘されると自分の矛盾が浮き彫りになるんだよね。新たな発見が生まれてくる。

過去の自分の文章とか読んでいると、「馬鹿なこと言っているなあ」って思ったり、「すばらしいこと言ってるよ、それに比べて今の自分は・・・」と思ったりします。他人に指摘されないと、自分の立ち位置さえ不明確になったりするのに、時に人は他者を拒否してしまうことがありますね。何故なのかな。ん、脱線です。最近、気になっていたこと。

「何を書いているかより如何にして書くのか」それについて関心があると私に言ってきたのは、他ならぬシミュラークル氏であったのだった。言われてみると私が他人のネット日記を参照するときも、同様の見方をしていると感じた。

言葉の選び方、文章の運び、そして、「捉え方」。この「捉え方」に何か光るものがあると次に筆者自身のプロフィールなり、何かしらが知りたくなってくる。

「素材への切り口」の面白さが一番気になる。もちろん文章表現が適切だとなお良いのだけど。小説とか読んでいても、こんな面白い文章を書く人は普段何をしているんだろうって考える。だから、私は多くの作者の本を読むより、特定の作者の小説やエッセイやインタビューなどを集中して見てしまう傾向がある。「この作者の世界観を知りたい」って思う。

そこなのだ、まさに。レトリックだけでは面白くない。多少なりとも筆者自身が投影されているからこそ、文章というものは面白いのだ。

極東ブログにも似たようなことが書いてあった。id:fujisawamasashi:20040303#p6で引用だけして何のコメントも書かなかったけど。

幻惑の死と使途―ILLUSION ACTS LIKE MAGIC」(森博嗣講談社文庫ISBN:4062730111小説があって、手品師がたくさん出てくる話だった。本の解説が引田天功(二代目)。マジシャンなわけで、文章を書くのは専門ではないと思うし、そもそもミステリ小説なんか読むのか?それで解説なんか書けるのか?って思っていました。実際読んだら、とても面白い解説だった。その人の人格というか人生がにじみ出てくる感じがした。

同じ内容だとしてもそれが恋人の書いたものであるとか、好きではなくてもある程度の著名人が書いたものだとか、そういったもので受け取るニュアンスが変わってくる。やはり筆者像というものも大事なのだ。

「文章だけで小説を評価するべきだ」って文学にとってはそうなのかもしれないけど、一般の読者にとっては、その人がどんな人なのかっていうのも、なかなか興味深い情報ですよね。人生そのものが作品なのかなって思うときがあります。

私は新居昭乃のファンと言ったけど、毎週やっているラジオとか聴かないです。トークに興味がないだけかもしれないけど。ただ、「その人自身のことは大好きなのに、その人が好きなものは嫌いになったりする」ということがあります。新居昭乃が作った歌は好きでも、新居昭乃が興味を持っていることには、(嫌いではありませんが)興味がないみたいです。だけど、新居昭乃の曲は大好きなわけであって、なんで好きなんだろう?ってたまに思います。それはそれで興味深いことかもしれないけど。

こことは違う場所で日記を公開していたとき、内容などは今、ここで書いているものと大差はなかったが(もっと完結で短く、それこそ詩的であった)、自分の性別を記すとアクセスがグンっとはね上がった。これが男だとそうはいかないのだが、女であると公開するとはねあがる。更に割りと可愛く撮れたポートレートを公開してみた。カウンタの回転がすごいすごい。「若くて可愛い女の子」が書いているだけで読者の捉え方はこうも変わるのかとシニカルな気持ちになったものだ。』 (2004/03/03 13:16)

えーっと、多分可愛いんでしょうね(^^)。実際を知らないのでわからないけどさ(写真があったけどそれですか?)。でも、どうしてポートレートを公開してみようと思ったんでしょう?まぁ可愛く撮れていたから載せたくなったっていう理由以上のものはないか。文章が評価されたかったのに、自分の性別さらには容姿が評価されてアクセスが上がったのが嫌なのかな。男ってそういう外面に惹かれるっていう悲しい生き物なので、寛容になって欲しいです。女も同じかな?男性論女性論をするのはあまり好きじゃないので、これにはあんまり突っ込まないでください。母集団が増えれば、id:automate_tomoさんの文章を理解する人が見てくれる可能性も上がるんだし良いことでは?ついでに「容姿も評価されている」、って素直に喜べばいいのでは?それもid:automate_tomoさんの力の一つでしょう。誰でもその力を行使できるわけじゃないんだし。

(続く)