「12月10日の徒然草」へのコメント

84tomoさんのページの「12月10日の徒然草http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9451/turedure8.htmへのコメント。

引用をたくさんしています。勝手に改行位置とか変えています。ご了承ください。ちなみにここで出てくる「彼」とか「あなた」とかは全然私とは関係ない人です。

日記を掲載しているサイトを「なんだかな」と思っていたのに結果としては自分も日記のようなものを載せていたわけだ。

そうそう、本当にその通り(シンクロ20%)。日記なんかくだらないって、私も思っていたんだけど、今では日記中毒かも。生活改善しなきゃ!

 

あそこでブツブツと感情を吐いていると(最近は言葉の乱れが激しくなりすぎた。露出する部分は、もう少し緊張感を保っていきたい)恋人に出すはずのメールを減らすことが出来る。

今はblogサービスを使っているけど、昔は自分の掲示板にmemo代わりにいろいろ書きまくっていた(シンクロ40%)。そういう形で何か良く分からないものを発散させていた気がする。露出する部分は緊張感を持ちたいというのもごもっとも。私も心がけようとは思っている。とは言うものの最近荒れているような気がする。まぁ私のページはmemoの下書きだしいいか。

女は恋愛に依存しやすい。
全身全霊を注いでしまう。
男はどうか?

どうでしょう?わかりません。

私の恋人に関して言えば、「余暇に楽しむ」ものとして恋愛があるのではないだろうか?と疑いたくなる。(略)ただ女は違う。いや、私は違う。一般的な人はどうでもいい。知らないから。

この「私は違う」とか「一般的な人はどうでもいい」とか面白いな(シンクロ50%)。性格に性差が深く関わるのは認めるけど、どのように差が生まれるのかはよくわからない。「男/女は○○だ」って話はよくあるけど、それってどこまで正しいの?ってよく思う。全体の傾向はあるかもしれないけど、個人差はどれくらいあるの?・・・まぁ特に興味があることでもないですが。

自身の向上を促さない恋愛など無意味なだけだ。私は常に「この人から学ぶだけ学んだ」と見きった時点で、あっさりと男を乗換えてきた。「自分の向上のためだけに男を利用するな」そう言われたことさえある。(それほど男関係は派手ではなかったが地味というほどでもなかった過去において、ね。)

なんか、かっこいい!(シンクロ60%)と、思う反面、二人の間には時間をかけて何か育むことはなかったのか(くさい!)とか思ってしまう。戯言戯言。「自分の向上のためだけに男を利用するな」って言うほうも言うほうだ。すごい。良い知り合いをお持ちですね。なんか分かれることを前提として付き合っているような気がしないでもない。長く付き合えることを夢見て破局を知っているっていうか。

この恋愛は向上させてくれてる?私は相手に癒しなど求めてはいない。そんなものは惰性と弛緩に繋がるだけだから。自分を向上させるためには相手の向上も望むのだ。だから?

向上できたらいいな、って思います(シンクロ70%)。でも、「癒しなど求めていない」って言い切れる?うーん、わからないね。惰性も弛緩も時には必要だと思うけど。

「だから?」(シンクロ80%)って言うのもいいよね。こういう言い方好きです。


女は…、いえ、私は恋愛のことばかり考えているからこそ、このような文章を書いていけるのです。写真やイラストを手がけられるのです。たとえ恋愛に苦しみ、辛く思えることがあったとしてもそれを創作への糧としてしまうだけのずるさというか…、器用さがある。

これって「女は」では絶対無いよ(シンクロ90%)、たぶん。ここでの対象は「恋愛」だけど、それ以外の駆け引きとかでも関わることだと思う。これも一般論なのかもなぁ。でもこれは私にとってけっこう重要な問題。「結局逃避なんじゃないの?」って言われたら、私は現時点で反論できない。「これはただのmemo(の下書き)です」という言い訳なんて自分だって信じていないのに。

 

それでも私だって、うまく昇華出来ない時期もある。あなたが私を思うよりも、私があなたを思う、その絶対量は相対的に多いのです。そのことに不満を覚えないでいられるほど、私はわかったようでいてわかっていないのです。上のように述べていたって、彼が共依存へとはまっていくのもどうしたって少しは望んでいる部分がある。

この部分も面白かった。「私はこんなに相手に時間を捧げているのに、相手は・・・」って考える。どっちが相手をより愛しているかなんて不毛な問いなのに、それを考えてしまう。「自分でもわかっていない」「割り切ることができない」から書かざる得ないんだ(シンクロ95%以上)。


昨日のコメント欄に私は「シンクロしそうになって全部読めなかった」「なんか自分が変わってしまうのが怖いというか・・・」などと書いています。それがどういうことか少し説明。すでに書いたように頷けることがたくさんあったわけですよ。頷けるというより、私がウェブサイトを運営してしまう根源的な理由にけっこう触れらている気がしたのです。で、それはそれで「じーんときた」でいいわけなんですが。私が特に気にしていなかった他の部分も重要だと思ってしまいそうになった。たぶん、そこだけ切り離してみれば、別に頭に残りもしない部分も、文章のつながりからとっても気になってしまう。そして、それを取り込もうとしてしまう。異質なものがスムーズに自分に入ってくる。それが怖い。今はもう安定してるけど、読んでいるときは少し戦慄した。ここの文章を最後まで読んでいいのか?って思いながら結局このページだけは最後まで読んだ。他のページは怖くてそのときはちゃんと読めなかった。後日というか先ほど、他のページの文章もいくつか見たけど、戦慄というほどのものは感じなかった。文章に感覚が慣れたのか、それとも私の根源に関わらなかったのかどうかはわからないけど。

「私は偶然に題材を知っているけど、これって誰がわかるんだ?」というものへの言及はまた次回。