研究とか教育とか組織とか

  • 上級生は下級生にいろいろ教えたりする。でもね、「その物理が面白い」っていうのをあまり言っていない気がする。手法を教えることも大事だと思うんだけど、手法は手法であって目的ではない。目的が面白そうだってことに気がついてもらうことが大事なんだと思う。そうすれば、手法なんて勝手に考えるだろう。しかし、手法が面白いと思っている人は手法を教えるしかないのかな〜。
  • スポーツをやる人は短期目的と長期目的というのを掲げて訓練するみたい。勉強や研究も一緒なんだろうな。
  • それは面白いの?って言われたら、「これこれこうで面白い」ってちゃんと言えなくてはならない。相手にとって理解するのが難しい概念があったとしたら、それはわかんないものとしても、相手に面白さを伝える工夫だってできるだろう。相手のレベルなりに説明というものはできる。
  • 「何に対して面白いと思うのか」というのはアイデンティティの一要素だろう。アイデンティティとは自分のルーツというか成り立ちというか歴史というか、構成要素とかそういうふうに考えればいいと思う。
  • せっかく物理学科に所属しながら、物理を楽しめないって言うのもかわいそうだとは思う。同時にリソースを無駄に食っているわけでもあって、「やめちまえ」とも思う。これは言い過ぎかな。
  • 研究室訪問に来る3年生とか大学院進学を考えている4年生とかによく言うこと。「あなたが所属した研究室の研究内容があなたにとって面白くないかもしれない、またはあんまり環境がよくないかもしれない。でも、そういう理由でいい加減に時を過ごしてしまったら、もったいないと思う。もし入ったのなら、そこで学べること・その研究を通して身につけることができるスキルをできるだけ早く習得して、次のことを考えたらどうかな?」
  • ちなみに、ここら辺は自分の能力とかやってきたこととかを全て棚上げして書いている。自分への戒めだと思って書いている。卑下ではなくて。後悔ばかりではあるのだけど。しかし今までの実績(言い換えれば実績のなさ)が、私の能力(のなさ)の証明なのだな。この程度の能力では研究者にはなれないだろう。努力が足りないとか理由はいくらでもあるけど。これに関しては私に期待してくれた人たちにはいくら謝っても足りない。でも、一応言っておこう。ごめんなさい。
  • 研究室のリーダの役割を考える。研究室の体質っていうのを考える。昔は、たぶん、大学院なんて来る人たちは本当に物理の能力がある人たちだけだったから、勝手に自分で研究したのだろう。でも今は違う。就職するのが嫌だからとかで大学院に入ったりする。・・・とまぁ言いたいことはいろいろあるけどストップ。
  • 反省の続き。論文とか読むと、「面白いな」って思うわけ。で、「自分もこんなのができたら良いな」って思う。しかし、それを現実化するバイタリティがないというか移り気なんだな。成し遂げないまま、また別のことを考え出してしまう。それは本当に駄目な性癖だ。ため息。
  • 残り短い学生生活を悔いのできるだけ少ないように過ごさないとな。それは逆に言うと、もう過ぎてしまった過去をより悔いることにつながるのだけど。本当は、こんな馬鹿げたことを書くより、もっと大事なことがあるのだろうけど。こんなことを書いているのも、私の駄目駄目なことの一部なんだろうな。じゃぁ、すぐやめろって気もするけど。
  • 別に誰かに轍を踏まないで欲しいなんて考えていない。この件に関しては。今の心情を書いておくことは将来の私に少しくらい発破をかけることになると期待している。