私達は同じ人でしょう?

先日の記事に少し補足。でも、これは何回も書いてきたことかもしれないけど。

  • 私達は同じ人という生き物。だから、同様な性質を多く共有している。寒いところや熱いところより、暖かいところや涼しいところを望む。寒さに強い人もいるし、暑さに強い人もいる。でも、どういう環境(この場合は温度)が好ましいかということについて、調べてみればかなり狭い温度範囲を好ましいと感じると思う。温度環境以外にも、多くの似たようなことで喜ぶし、多くの似たようなことで悲しむ。
  • 「重みをつける」というのは、私は誤差計算とかをやっていて重要だと気がついた。中西準子さんの環境リスク管理の話を読んで、こういう概念は一般で使える物だって気がついた。誰しも家計(お小遣い)のやりくりや、時間の使い方などもみんな気付かずに重み付けをやっている。これは脳の構造や心の仕組みと関わることなのかもって思う。
  • 全ての決断は重み付けを背景としているわけで、科学や政策だけでなく、日常生活と密接に関わっている。普通に重み付けを使って考えれば良いのに、言葉にしようとすると重み付けというものがあったことを忘れてしまうことがある。歩くことや呼吸することは意識しないでできるから(意識することもできる)、重み付けを行っているということを意識していない。
  • 環境リスクの研究で重要なことは新しいリスクを発見することらしい。重み付けを行う際に重要な要素をカウントし忘れては困る。日常生活の重み付けに関しても、自分の知らない重要な要素を探すことは大事になる。自分の判断というのは、「主要な要素を足し忘れているかもしれない重み付け」を根拠としているということに自覚的であるほうがよいかもしれない。
  • そういえば、ディ○ーターさんたちも重み付けをかなり意図的(恣意的)・明示的に行いますね。恣意性を見破るにはそこそこ広く深い知識が必要になります。ショーとしてのゲームとしてのディ○ートであるならば、その恣意性が面白さにもなります。でも実際の政策決定に関わる討論の場合、その恣意性に対し聴衆は鋭敏であらねばならないでしょう。
  • 僅かな差異を軽視した書き方かな。[fiction]でいつもやってたのはその僅かな差異を強調・誇張したものだったしね。