健全な肉体に

「健全な肉体に健全な魂が宿る」って言葉をどういうつもりで使っているのかな、って思う。そもそも健全って何を持って言うのよ、って言うのはおいておこうか。必要条件が十分条件か。

健全な魂が宿るためには、健全な肉体である必要があるのか、とかとか。健全な肉体であれば、少なくとも健全な魂なのか?

  1. 健全な肉体、不健全な魂
  2. 健全な肉体、健全な魂
  3. 不健全な肉体、健全な魂
  4. 不健全な肉体、不健全な魂

こういうふうに場合わけできるとして、2番か4番しかないといいたいのだろうか。普通に読み取ればそういうことにならない?

こういうふうに混ぜっ返さなくても、本当は何が言いたいのだか少しわかる。健全というものをかなり恣意的に使っているということも理解できる。「私が健全と思うものは世間でも健全とみなされているものであり、すくなくとも私は健全であるということ。」を暗に主張しているのだろう。しかし、私は近しい人たちに何でこんなに怒るのかね。近しい人だから怒るんだ、なんてしたり顔で言う人もいるかもしれないけど。まぁ、私がただの短気なのでしょう。