心配してしまうけど、心配しても仕方がないとも思う

苦しんでいる知り合いがいる。声をかけることくらいはできるだろう。でも、私だって、そんな余裕があるわけじゃない。人を助けてあげる力なんてない、っていつも思う。私が何か関与すれば、抜け出せない思考ループを見つめなおすきっかけになるかもしれないけど。言葉を跳ね返すシールドで自身を覆ってしまった人に、なんて言葉を投げかければいいのだろう。私が関与する価値は?私が関与する意味は?あるかな?時間が解決する?そんなつまらないことで悩むなよ、って思うこともある。でも、大事なものは人それぞれだし、とも思う。私にとってつまらないことでも、それを大事に思う人はたくさんいるってことも知識としてはあるし。人にはトカゲの尻尾みたいに切り離せないものがある。忘れることができれば楽になることができるからといって、忘れることができるわけではないように。悩みや、苦しみや、欠乏感は、人を成長させるきっかけともなるもの。変化するためのエネルギーは内在されている。ただ、そのエネルギーは、抑圧を撥ね退けるという形で表出しやすい。逃げたほうが良い苦しみや悩みというものもあると思う。でも、逃げてはいけないものもあるよね、って言いたいときがある。何様のつもり?って思わないでもないけど。「自分が今、泥まみれじゃないってだけじゃないの?」「高みの見物のつもり?」とかいろいろ思わないでもないけど。「私自身がいつも泥まみれじゃないか」とも思う。