『石の花』(坂口尚)

石の花(1)侵攻編 (講談社漫画文庫)

石の花(1)侵攻編 (講談社漫画文庫)

下記も1999年10月頃に書いた感想。この本も今読み返したら、かなり異なる感想を抱くと思う。昔は、私はストーリーしか追えなかった。今は絵とかコマ割りとかも注意して読むと思う。今、坂口尚が生きていたら、何を描いていたのだろう、って思った。

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私が自由とかそういうことにこだわるのもこの本が原因かもしれません。少し本の中の台詞を引用します。

「生まれたときそなわっていた自由な心を・不安と混乱の世の中で持ちつづけるというのはやっかいなものだ・絶え間なくつきつけられる問いに・何が善で何が悪かを自由な心で自ら選ばなければならないということは重荷だ・しかも生まれたときから何色にも染まって入なかった自由な心は・次つぎにある条件という衣を着せられていくんだからな・世の中はますます複雑になっているし・いくつもの思想(イデオロギー)の道ができいくつもの宗教の花が咲きいくつもの神が手まねきする・そのひとつひとつを自由な心で選ぶというのは・とてつもないエネルギーがいる・そんな自由はいっそ誰かに預けてしまった方が楽なのだ・ある国家にある宗教にある伝統にある慣習に・自ら問い自ら悩み自ら選ぶ自由よりある権威に従ってしまった方が楽なのだ・やがてどこまでが他人の不正でどこからが自分の不正なのかもわからなくなる・その方が自分を責めずにすむし心安らかに暮らせるじゃないか」

以下、まだまだ続くのですが実際に読んでください。私が思うにこれは作者の作者自身に対する問いかけなのだと思います。私はこれをずっと否定したかった。でも、現在は少し知識もついたので否定するというのとは違った視点でこの引用文を考えています。

たしかに人はその人が生まれ育った環境に大きな影響を受けます。「文化」というものは我々に「世界」を見せてくれますが、同時に思考を「束縛」します。しかし、このこと自体は「悪い」ことではないはずです。やってはいけないのは自分の見方が唯一正しいと考えること、または自分の見方が他のどこよりも優れていると他のものを知らずに盲信することではないでしょうか。こういうことは大学で文化人類学の講義を受けた後、でてきました。

もちろん偏見は私の中にもまだ多々あります。一生なくならないでしょう。でも、少しづつより適切な見方ができるようになるよう努力しなければならないと思います。キーワードは多角的視点かな。

ちなみに、この本の舞台は第2次大戦中のユーゴです。ストーリーは中学生ごろすごく感動した覚えがあります。特にラスト、「そういうことだったんだ」と、「石の花」という題名の意味。残念ながら現在はなぜ感動したか良くわかりません。この点に関しては私の感性的なものの一部が摩滅してしまったせいだと思います。とても残念ですがこればかりはしかたがないのかもしれません。

先の引用ですが、 最高クラスの悪役のセリフですね。なかなかこんなこと言ってくれる悪役はいないです。悪役は強く・賢く・美しく!もちろんエンターテインメント中のことですが。

過去の感性的なものですが、理性で考えると少しづつ断片が拾え、それを組みあわせて感動の構図のようなものを認識することは可能です。でも料理の味をいくら説明されてもわからないように、今の私にはもう一度味わうことは無理です。