本当の気持ち・・・は書けない
そう思う。保身のためというか愚かなプライドのため。
抽象的に書けば、逃げたい、だろう。
でも、ずるずるずるずると深みにはまっていく。
なまじ、甘美な要素もあるから逃げづらい。
責任も感じているから逃げづらい。
泥沼。
地獄への道はきっと快楽で舗装されているのでしょう。とか、何も言っていないのと同じだけど。
何かから逃げても、また別の何かに拘束されて、また逃げようとする。
なんというか、私の人生は逃げてばっかりなのだな。
逃げるのは大好きなのだ。
何かから逃げるのは、何かを追うのと似ていると思う事があるよ。
悩んでないで仕事しろと言われたらそのとおりだよね。
自分を卑下していてもだめなんだよね。
言葉つむぎというか言葉遊びは、何の為にしているかというと。
わかんない。
本当にわかんない。
理屈はたくさん紡げるけどわかんない。
嘘ばっかりだと思う事もあるし、何か本質的な物の一部を切り取ったと思えることもある。
新陳代謝みたいなものかな。
友達とかとくだんねーことしゃべってしゃべりの練習をしておくのはとっても大事だと思った。というか、いろいろそういうときにしゃべっていいことといけないことを把握したりできるし。
あと、変なストレスを解消できるし。
おまえ、それ極論だろ、って突っ込まれて、そう言われりゃそうだね、って感じのやりとりが必要。
あと、人の意見を聞くのは重要。とりあえず、聞いておくと、すぐにはそれを受け入れることができなくても後々効いてくる気がする。
たぶん、私は苦しむことが足りないのだ。
苦しむことから逃げるのがやっぱりうまいんだろうな、私。
本来、心の問題が生じるはずなんだけど、すぐに忘れるし。
いつも、いつ破綻してもおかしくないって思うのだけど、なかなか破綻しない。
世の中には、バランスを保つ仕組みがあるのだろう。ちっぽけな私程度の能力で、破綻を招けるほど、世の中ヤワじゃないということかもしれない。
というか、あれだけ多くの人に迷惑をかけて、まだまだ生き続けることが出来るのは不思議だ。本当に不思議な。きっと、いつか、どこかで、誰かが、私の犠牲になってくるしんでいるんだろうな。
なんかわからん。
本当にわからん。
自分のだめだめさかげんを考えると憂鬱になるばかりだ。他人を批判しても、自分が偉くなるわけでもなく、自分の無能さの免罪符になるわけじゃないというのは、分かっているつもりだったのだけど。
批評している暇があったら、なんか作れ、というのは正しいなあ。
仕事って慰安になるよね。くるしいっちゃ苦しいけど、意味があることをやっていると錯覚できるし。というか、作業中は自分が無能である事実を忘れていられるし。ちょっと違うかな、自分が無能で有ることを絶えず突きつけられる。でも、話が少しずつ進展していくことは快楽に近く、その分だけ安心できる。
世の中怖いことだらけだ。案ずるより〜とは言うけどさ。確かにその通りなんだけどさ。
手応えみたいなのが欲しいのかな。
なんか、たまに、私って狂っているのかな?って思う。きっと狂っているって、自分で気がつかないんだろうな。齟齬や矛盾に気がつけない時がありそうだな。
自分の等身大とか、等身大よりちょっと上とかそういう喜びを見いだせるように努力しましょう。
疲れたとか、忙しいとか、できるだけ言わないようにしたいかな。
そういえば、あの時期疲れていたかな?
そういえば、あの時期忙しかったかな?みたいな過去形でいいよ。
お酒なんて大嫌い。普段の自分のバランス感覚から、かなり逸脱したことを言ってしまう。なんというか、私って、こんなに駄目な人間だったっけ?ってかなり憂鬱になる。でも、それも一面で真実だよね。ちょっと苦しいよ。
私は、基礎研究とかをするのを止めるべきかな。とある人と話していて、そうすべきかも、と思った。とりあえず、少なくともあと半年くらいはがんばるけど。
いろいろな人に励ましてもらったり援助してもらったことを捨てることになってしまうかもしれないけど。
とりあえず、頑張って宿題を終わらせよう。終わらない宿題は、誰かに引き取ってもらうことも必要かもしれない。引き取ってもらえる程度には魅力的な形にしなくてはいけないかも。
傲慢に、いろいろな人に迷惑をかけ続けて、研究を続けるのも一つの生き方なのかもしれないけど。なんか、いろいろな事に疲れちゃったかな。それは甘えだと言われれば甘えだけどさ。
・・・今書いている論文は良い論文にしたいな。