『がちょう娘に花束を 物理学者のいた街3』(太田浩一)の感想

がちょう娘に花束を (物理学者のいた街3)

がちょう娘に花束を (物理学者のいた街3)

p.v
コリオリコリオリースと表記するのが正しい読み方に近いらしい。

p.16

アインシュタイン墓所はなく、遺灰の行方は誰も知らない。

そうなのか。20世紀最大の英雄なのに(断言!・・・するほどアインシュタインのこと理解しているとは言い難い)。でも、なんとなく「らしい」気がしてしまう。19世紀の英雄はダーウィンですかね。17世紀はニュートンかな。まあ、こういう分類が私の能力の貧困さを如実にあらわしますが・・・。





p.27
ヘルツの胸像の写真。私はここに行ったことあるよ!

「ハインリヒ・ヘルツは一八八五−一八八九年にこの場所で電磁波を発見した」
と刻まれた銘板が取り付けてある

p.29
ヘルツは36歳で亡くなっているのか・・・。

ヘルツが両親に送った最後の手紙。

「私に何か起きても悲しまず、短くても十分に生きた特に選ばれたものであったことを誇りに思って下さい。この運命を望んだのでも、選んだのでもありませんが、こうなった以上、これで満足しなければなりません。私に選択が任されたとしてもおそらく私は自分自身でそれを選んだと思います。」

心にくるものがあるな。

最後の仕事は遺稿となった『力学原理』で力学から力の概念を消去し、時間、空間、質量のみを用いて公理と演繹の数学大系をつくった。

ああ・・・。ここらへんも面白いな。

ヘルツは理論、実験物理学における天才であっただけでなく高潔な人柄だった。

そうなのか。


p.55のレントゲンの話。X線に関する特許をとらないか?という話が出たらしい。それに対するレントゲンの応答。

「ドイツの大学教授のよき伝統に従って、その発見や発明は人類に所属するものである、それらは特許とかライセンスとか、契約とか、あるいは特定の団体によって管理されるべきではない、というのが私の意見です。」

ノーベル賞の賞金も、全てある大学に寄付したし、貴族の称号フォンも拒否した、とのこと。

p.57

レントゲンの業績には相対論の検証となる実験も含まれているのである。X線の発見があまりにもセンセイショナルだったために他の業績が忘れられているが、レントゲンは物理の基本的な問題に取り組む誠実な物理学者だった。レントゲンの元で学位を取ったヨッフェに葉書で「私は貴君に、センセイショナルな発見ではなく、真面目な科学的研究を期待しています。」と書いた。

確かに、知らなかった。

p.62

「運動による電場」はガリレイ変換で導けるが、「運動による磁場」はローレンツ変換によって導かれる純然たる相対論的効果である。レントゲンが観測した「運動による磁場」は一八七八年のロウランドの実験と並んで電荷の運動が磁場の源になることを示している。レントゲン自身、X線発見よりこの研究の方が価値があると思っていた。

ここらへんの記述もとっても楽しい。レントゲンというと、X線しか思いつかないけど、他にもいろいろ業績があるんだね。


エーレンフェスト
p.70

エーレンフェストは一九〇六年に、現在ではほとんど忘れられているが、注目すべき論文「プランクの輻射理論について」を書いている。プランクは、その輻射式を導くにあたって、仮想的な共鳴子のエネルギーを離散的にしてボルツマンの原理を適用しエネルギー量子を発見したのだが、エーレンフェストは電磁場のエネルギーを離散的にすればよいことに気づいた。「振動子νを持つ固有振動の代表点は平面上の任意の位置を取ることはできない。それは決まった曲線上、すなわち楕円の集合の上になければならない」と行っている。一つの楕円は調和振動子のエネルギーがhνの整数倍になることによって決まる。アインシュタインとは独立に、電磁場を構成する調和振動子のエネルギーがhνの整数倍になることに気づいていたのだ。

そうなんだ。これまた凄い。

エーレンフェストとアインシュタインは仲が良かったらしい。

p.74

エーレンフェストは生涯を通じて若い才能を育てることに熱中した。ペテルブルグに来るとすぐに現代物理学セミナーを始めた。量子論、相対論、統計力学の最新の論文が取り上げられた。若い物理学者がエーレンフェストのまわりに集まった。「さてどんな疑問をもっているのかね?」と参加者みんなに訊ねるのがエーレンフェストの常だった。あるとき一人が「パーヴェル・シギズムンドヴィッチ、疑問を持たなければあなたとところに来てはいけないのでしょうか?」と訊ね返すと驚いたエーレンフェストは「君が物理を勉強しているなら疑問を持たないなんてありえないよ」と答えた。

物理学における偉大な人達の教育姿勢の違いみたいなのが面白いと思う。


p.74

エーレンフェストを推薦するゾマーフェルトの手紙が残っている。「彼は巨匠のように講義します。このような魅力と輝きを持って話す人は私はかって聴いたことがありません。意味深い言い回しや、機知に富む指摘、論証は驚くほど彼の意のままです。彼はもっとも難しいことを具体的に直感的に分かりやすくする方法を知っています。彼は数学的議論を容易に理解できる描像に翻訳するのです。」


p.75

一九二六年にシュレーディンガー波動方程式を発表した翌年に、論文「量子力学での古典力学の近似的有効性に関する注意」で「波束の重心は、ニュートン方程式の意味において、波束の位置での支配する力に従う」ことを示した。

「エーレンフェストの定理」。これをはじめて習ったときに面白いな〜って思った記憶がある。


p.75の一九二七年のアインシュタインとボーアとの量子力学に関わる論戦。ソルヴェー会議ね。エーレンフェストの論評。

「それはチェスのようだ。アインシュタインはいつも新しい反例を持ち出す。不確定性関係を破る第二種の永久機関みたいなものだ。ボーアは反例を次々とつぶす道具を哲学的煙雲の中から必ず探し出す。アインシュタインはびっくり箱みたいだ。毎朝元気に跳びだしてくる。それはなんと貴重な物だろう。だがぼくはほとんど無条件でボーアに賛成し、アインシュタインには反対だ」

天才達の対話に天才がコメントしている。なんかこういうの好きだ。


p.76 パウリによるエーレンフェストの追悼文

「私たちがもう一度エーレンフェストの科学的活動を振り返って見ると、それは永遠の真実の生きた証拠になっていると思われる。すなわち、科学的客観的批判は、いかに辛辣でも、最後まで矛盾なく突きつめられるときは、つねに励みになり奮い立たせてくれるものである。」

エーレンフェストは、多くの天才物理学者から好かれているようだ。



p.77 カピツァによると、
「エーレンフェストと彼の家は世界の理論物理の一つのセンター」
「エーレンフェストの優れた性格は、その簡潔な批判精神にあった」
アインシュタインやボーアも自分の研究を討論してもらうために、エーレンフェストの所にくる」
などなど。20世紀の物理学に多大な貢献をしているようだ。

エーレンフェストの最後は・・・。



リヒテンベルクの話。彼の『雑記帳』に
p.82

「本をたくさん読むと知的野蛮をもたらす」

と書いてあるらしく受けた。

p.84にヴァルトシュピラール(らせん状の森)という建物の写真がでてくるのだけど面白い。


リーゼ・マイトナー。もとの名はエリーゼだったらしい。

p.100-101
リーゼの通った物理研究室は

「風が吹いたり道路をトラックが透だけでぐらぐらする崩れかかったおんぼろ教室」

「もしある学生がテュルケン通りの物理研究室に登録したとすれば、その行為の動機は失恋にある」

だったらしい。1875年から1913年までの間に在籍したことがある物理学者ロシュミット、シュテファン、ボルツマン、エクスナー、マイアー、ハーゼンエールル、マイトナー、シュレーディンガー等凄いメンバー。

リーゼの師匠は、ボルツマンだった。

「彼の講義はもっとも美しく刺激的だった・・・・・・教えるすべてのことに彼自身が熱狂的だったので、講義が終わると完全に新しいすばらしい世界が開けたという気持ちになった」

さらに、

「ボルツマンは心からの善意、理想主義への信仰、自然秩序への驚異に対する畏敬に満ちた純粋な魂だった・・・・・・彼は並はずれた人間らしさゆえにこんな強力な教師だったのだと思う」

とリーゼは語っているらしい。


ホイートストンの話。「回転鏡を用いて光速度を測定する実験」を提案したのはこの人らしい。それを行ったのはフーコーだとのこと。ファラデイと同時代のひとなんですね。電気抵抗をはかる、ホイートストンブリッジは有名だけど、これを考案したのはサミュエル・クリスティーという人らしい。考えた人でないひとが有名になってしまうケースはどれくらいあるんだろう。


ヤングの話。
p.135 「表面張力の研究から分子の大きさを評価」ですか。凄い。大きさは違ったけど、その視点のすごさは何なんだ。

ヒエログリフの解読もしているみたいね。完全とは言えないけど。シャンポリオンよりも早く。


ラウエの話。
p.161-162

ミュンヘン大学物理教室の中庭の壁に掲げられた記念銘板には「この旧実験室マクス・フォン・ラウエの着想と提案の下に一九一二年初めにレントゲン線の波動性と結晶の格子構造がヴァルター・フリードリヒとパウル・クニピングによって証明された」と書かれている。

これは物性屋さんにとっては凄い発見だったと思うよ。本当に。


ラウエは講義が嫌いだったらしい。嫌いな物理学者と好きな物理学者がいるんだね。



p.166ラウエは反骨の人だったようだ。

この年にアインシュタインはラウエに手紙を送った。「君の消息に接する度にどんなに君のことを喜んでいることか。いつも思い、わかってたことですが、君は単なる優れた頭脳というだけでなくすごい男ですね」ラウエは国内に残ってナチに妥協せず反抗したただ一人の物理学者だった。

アインシュタインにそう言われるなんて凄いかも。



ファン・デル・ワールスの話。試験をたくさん受けている人らしい。なんか面白い。

p.180
カマーリング・オーネスがこんな事をいっているらしい。

「実験をする上で、ファン・デル・ワールスの研究がいつも魔法の杖とみなされていましたし、レイデンの極低温実験室は彼の理論の影響の下に発展したのです」

とある。

レイデン大学には私も見学に行きました。なんか懐かしいな。



ベルヌーリ家の人達の業績はなんか凄いよ。


他にもいろいろ面白い逸話があるんだけど、面白いと思ったところはこのへんかな。とっても楽しめました。