書いた衝動は何だったのかな
2000/04/02<かけら fragments> 認識される対象の 言葉への還元性は 記憶の持続性を示す 残るのは 言葉の断片 抽象的な 記憶の欠片 化石のような過去の片鱗
2001/07/22<哀しみを越えて> 真摯な問いに対して、「どうでもいいんじゃん」って言われたら、 少し悲しい。 いっしょに、自分の悩みのように真摯に、懸命に考えてくれたら、 感動といえばいいのか、嬉しいと言えばいいのかわからないけど、 なにか、心にこみ上げてくるものがある。 人の親切な心を打算というコードでしか読み解けないように なりたくない。思いやり、共感、そういうのは人は持っている。 …一昔前なら、恥ずかしくて、こんなこといえなかったな。 そういえば、最近涙もろいかも。 大丈夫、私はもっとがんばれる。 それは私の体が言っているのだから、 私の心が言っているのだから、 間違いない。 心を信じよう。 体を信じよう。 そして、自分を、人を、信じよう。 すべてを捨て去りたくなるときがあるかもしれない。 でも、体がある限り、心があるかぎり、 私は私。 生きているとは自分の力で呼吸をすること。 自分の力で考えること。 こんなパラフレーズをしてしまうなんて、 本当に、昔では考えられない。 心の基底状態。すべてを失い最後に残るもの。 それこそが、すべての心と体にまとわりつく枷を笑いとばす力。 他者と自分。 その間に、私は、何かがあるのを知っている。 そう相互作用とでも言ってごまかす。 心惹かれる何かがある。
何かに感動したり、何か洞察を得たりしたあとこういうのを書くのだと思う。でも、この生成されたものをみても、このとき何を考えていたのかはわからない。
わらならなくていいものだと思う。
むしろ、封じたのではないかな。