2001/04のMemoの一部

図書館に『数学的経験』 ISBN:4627052103 って本がありました。ちょっと引用しましょう。引用の意図は「笑わない数学者」に似たような文章があるのを思い出せるかということですが。

科学の最高の知性ですら、過度の単純化の魅力に取りつかれてきた。
物理学はやがて、ちょうど曲がり角で、重力、電気力および強い相互
作用と弱い相互作用などの全ての力を統合するであろう1つの、そして
ただ1つの法則を探求することに追いまわされた。生物学者は、
今や生命の秘密が大きな分子の点在する二重らせんから収集される
という予想に魅惑されている。心理学者は共有抑圧に対する治療として
性の解放、不思議薬剤と原始絶叫を順番に処方してきた。一方では宣教師は、
再生のホサナ合唱に参加するという金のかからない申し出で逆襲したい
であろう。


笑わない数学者 MATHEMATICAL GOODBYE』ISBN:4062646145 します。

「数学が何の役に立つんです?」(略)「1度、きいてみたかったんですけどね」

「その質問をおまえは以前にしている」低い声が答えた。「鶯の美しい声に、何の意味があろう?森へ行ってきいてみるが良い。何のためにお前たちは鳴くのかと。何の役にたつのか、とな。すべての美は、それを尋ねる者には、役に立たぬものだ。では、哲学者は何の役に立った?存在の複雑さをベクトルのようなものに置き換えて何になる?心理学者は何の役に立ったかな?解放と処方を入れ替えて、絶叫と抑制の多角形の頂点を一つ移動したに過ぎないではないか。物理学者は、世界中の金を集め、統合というただ一つのマジックさえまだ完成させていない。宗教か政治家はどうだ?戦争が終わらないように敗者を援助する、いやそう言って握手だけの約束をする。誰が何の役に立った?一人でもよい、役に立った者を思い浮かべてみたまえ。よいか……少なくとも数学者だけは、自分たちが役に立つなどとは決して言わなかった。何故なら、それが(略)」

こんなことを書いて何の役に立つのか?上記のような引用をしておいたら如何なる意味も消え去りそうな予感はある。引用を行なう際に、まぁその本の前後は読む。其のときに気が付くことは、普段はなんていいかげんに思考しているのであろうかということ。其のときはいいかげんだと思わなくてもあとで考えると考えるべき多くの要素を忘れ、強引な論理、心地よい結末。それはそれが楽だからかもしれない。

何かを書きたい→そのために調べる→自分の言葉にして書く→ちょっとだけ勉強できる。

これだけじゃ駄目?というような問いかけを誰にしているのか?読んでいる全員に対して?少なくとも自分に対して。