表現と信頼の問題

http://www2.odn.ne.jp/~han52740/ns/memo/memo0401.html#m13bからちょっとだけ。

一読すると無情・無関心・薄情なようで、読み返すと強い愛情・思いやり・慈しみが読み取れる表現。中性的な言葉に偏った意味を持たせる、またはマイナスにプラスの意味を持たせる演出。


こういうの好きなんだけど難しいな。中立・中性・メタ的な言葉を、そういう言葉と受けてくれず、マイナスの意味(誹謗・中傷・軽蔑・侮蔑・矮小・・・などなど)にとられてしまうこともある。


よくも悪くもなく、って言う言説も難しい。中立的な言説も前後の文脈からプラスになったりマイナスになったりする。良し悪しを評価する意図がなくてもそういうふうに読み取られてしまうときもある。


なーんてことを、某ページを見ていて感じた


後で弁解していたけど(私は弁解を信じるけど)、私も最初は「今までと明らかにスタンスが違うこと書いている」って感じたし(まぁリンク先をちゃんと読んでいなかった私もよくないけど)。「これは作者が嫌っていた表現手法じゃないのかな?」って読んでいて思った。ようするに議論における誠実さの問題。内容というより情報の出し方(出す順序というか間(ま))に問題があった気がする。ひとまず、興味があるように見せかけて、「そんなの無意味じゃない?」って感じの話運びに見えた。リンク先を読めばそんなことはなかったのだけど。


思ったんだけど、「メタ言説は怖いなぁ」ってこと。できるだけ使う時を選ばないといけないみたい。「相手が何を前提として話しているか?」って言うのを考えるのが大事。その前提を受け入れるかどうかで自分が言及するかどうかを決める。相手の前提を受け入れられないなら、相手に言及する前に自分なりの前提を提示することからはじめないといけない。討論を行うためにはとても多くの共有事項が必要になる。また、メタになればなるほど、抽象的になり具体的な応用から外れるから、そういうところも覚悟しないといけない。