「モ○(←伏字)ニング娘」同一性問題

http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/diary2004-06.html##06

いまや元々のオリジナルメンバーがすべて新メンバーと入れ替わった“モ○ニング娘。”は,はたして元の“モ○ニング娘。”と〈同一である〉といえるのかという問題だ.

上記引用の一部分を変えてあります。検索に引っかかりたくないので。

モ○ニング娘がどうなろうと知ったことではないのですが、そういうのを真面目に論じるところに受けました。というか好感をもてます。そもそも名前の機能は?など気になります。


【23日追記】
少し前のネタを採り上げようと思ったのはある人からメールをもらったのがきっかけです。念のため。6月6日頃書きたかったのだけど別のこと考えていたら忘れていました。さて、上記引用元にはこんな文章がありました。

この形而上学的大問題を解決するアプローチとして〈実在論〉・〈本質主義〉・〈構造主義〉・〈因果説〉という提案が出されているという.もうひとつ〈リネージ説〉を追加しておこう.

なんかいろいろ大げさで面白いですよね。その後、球団の話とかになったりします。


今ではテレビなんてほとんど見ないからどうでもいいのだけど、昔は野球(のテレビ放映)が嫌いでした。録画予約とかを無視するような延長に何度泣かされたことか(1回くらいかも)。

で、私の嫌いな野球(のテレビ放映)をみんなあんなに好きなのか疑問であった。特に、球団というシステムが馴染めない。個人のファンではなく、チームのファンになるってどういうことなんだろう?好きな選手が移籍した場合どう考えるんだろう?

だんだん変質していくものに興味を持つのであろうか?その観点で見ると面白いかも。

・・・


私は漫画雑誌アフタヌーンを毎月購入しているけど買い始めたころとは作品も違うし作者も知らない人が多くなった。でも買い続けるのは、面白い作品がいくつも終わっていっても、また面白い作品がいつの間にか存在しているからだと思う。雑誌に作家が育まれていいるという要素はあると思う。「これは新しい芽かもしれない」なんて思ってみたり。


買うのは惰性かもしれない。でもアフタヌーンはもう少し買い続けそうな気がする。

オチがないですが、まぁいつものことなので。