前にも書いたかもしれないけど、しょんぼりとしてしまうような状況のときにはローカルに保存してあるRirikaさんのページの文章とかを読んだりする。この人の気性の激しさをあらわすような文章が私は大好きだ。なんだか、とっても嬉しくなってしまう。たとえば、関心空間では、こんなのを書いていた。
2003.2.26 [水] 1:39 am
詩を読んだり、訳をこころみたりしていると、日頃の自分の言葉の網の目がいかに粗雑で不ぞろいで凡庸で手入れもなってないものかってことが身にしみる。自分の文章のどーしよーもないダメさが憎らしくいらだってくる。
――打ち解けてメールのやりとりをしている子に愚痴ったら、「才能のある人はあるからね。しかたないよ」って慰められて決定打になった。
これまで送った何万字の一字一句、手を抜きはしなかった…「おはよう」の挨拶をただ一度だっておうむ返しに「おはよう」とだけ返しはしなかった。伝えられないのはわたしの限界。それはOK。
だけど、じゃあ、いったい…
こういうのを書くことができても「自分の文章のどーしよーもないダメさが憎らしくいらだってくる。」のか・・・って思う。自身の文章の評価は難しいことだとは思うけど。
「リリカの仮綴じ〆」は閉鎖されてしまったわけですけど、似たような題材を扱っているサイトはないのかな。あるのだとしても、見つけ出すのは無理かも・・・。
酩酊するような、陶酔するような・・・。文章を読んでいるときにそんな気分を味わえる機会は少ない。限られた人生の時間の中において、この人の文章に出会えたのはたいへんラッキーだったと思う。