『陋巷に在り〈8〉冥の巻』 (酒見賢一)

275ページあたりから名文です。

学ぶことは戦場の只中にいて戦うことと同じである。

「情熱にあふれた積極的な者でなければ教えない。四隅のうちの一つのことを示したら、残りの三つのことを自発的に見つけ出すようでなければ教える値打ちがない」
だが、この初歩の要求も満たさないで学ぼうとやって来る若者が多いことに孔子は初めのうちは呆れたに違いない。

この基準をクリアした、やる気のある弟子でも安心してはいられない。孔子はこれを満たしている弟子をも容赦なく突き落とすのである。急いで這い上がってくることが出来なければその時点で、孔子が引き続き孔門にいることを許していても、既に見限られていると思わねばならない。一隅を以て三隅を反すくらいは孔子の門に入れる最低限の資格に過ぎないのである。


ため息をつく時間を。

酔ってばかりいては駄目。素面に戻ってなすべきことを。

私がなすべきと決めたことをやることを思い出すために、ため息をつく時間くらいは欲しい。

意志を見るためには、意志に気がつくためには、努力が必要。当たり前のことだけど。