『あっかんべェ一休 (上)』(坂口尚)

あっかんべェ一休(上) (講談社漫画文庫)

あっかんべェ一休(上) (講談社漫画文庫)

華叟禅師と一休との対話。


華叟禅師は一休にこういうふうに言う。

のォ 一休・・・・・・
出家した者の本当のこころざしとは

真に世を捨てることじゃ

わしは
出家も在家も区別はせん

しかし
真に世を捨てるとは
形はどうあれ 出家者の"心"を持つことが
絶対あらねばならんと思うのだ

だが

人は
形 つまり
戒律によって
厳しくせねば
気をゆるめてしまう・・・・・・
限りなく甘えてしまうのだ

"形"
そのものが
人の心を律することができるのだ

一休はそれに対してこう問う。

ですが
それでは
今度は"形"に
とらわれてしまうのでは?

華叟の返答はこうだ。

ウム
その通りだ
形のための"形"に
なってはならぬ
"主義"となってはならぬ

そうなれば
開悟した者でも
再び迷妄の中へ落ち込むだろう

一休よ
印可証は
紙切れだが
紙切れではないのだ
紙切れではないが
紙切れなのだ

悟りを得た
おまえには
この意味が
いっそう迫って来よう・・・・・・


これらの台詞はとても好きなのだけど、私はこういうふうに言い換えて読んだりする。


研究者の本当のこころざしとは、今まで世界になかった発想を生み出す・見い出すことだ。

研究者も非研究者も区別はしない。

しかし、真に研究者として生きる、とは、形はどうあれ 研究者の"心"を持つことが絶対なければいけないと思う。

だが、人は、形、たとえば研究費により、厳しく管理されないと気をゆるめてしまう・・・・・・。限りなく甘えてしまう。

"形"(研究費とか)そのものが、人の心を律することができる。

ですが、それでは、今度は"形"(研究費とか)にとらわれてしまうのでは?

その通りだ。
研究費のための"研究"に
なってはならぬ。
処世術となってはならぬ。

そうなれば、
研究者としての本当の喜びを知った者でも
再びゴミ論文生産機となるだろう。

博士の学位は、大学が認可しただけのものだが、大学が認可しただけのものではないのだ。
大学が認可しただけのものだけではないけど、大学が認可したものに過ぎないのだ。


まあ、別に研究者じゃなくてもいいのだけど。