揶揄や皮肉や自虐

揶揄や皮肉というのは伝達のスパイスとして大事だとは思う。でもあまり明示的に使いすぎては表現としてだめな気もする。わかるかわからないかのぎりぎりを狙って欲しい、気もする。

ただ、ぎりぎりを狙って欲しいとは思うのだけれど、かなりグレーな言い方で、皮肉を込めたのか混めていないのかわからないときがある。そういうときはその言葉の前後に言われるもので判断することが多いけど、怪しいグレーゾーンな言い方はそれだけ、ってこともある。普段の言い方とかで判断するととっても怪しいけど、そのときの使い方はどういう意図か極めて微妙な場合がある。

http://www2.odn.ne.jp/~han52740/ns/memo/memo0402.html#m21とかでもちょっと言及したように、つまらないことしか悪口でいえないのは貧しい。

皮肉や揶揄もそういうところがあると思う。つまんない自分の拘りを皮肉や揶揄にこめてしまうということがある。そういうのが私のセンサにたまに引っかかることがないではない。でも、それは相手が私に伝えたいことだろうか?発露してしまったとはいえ、伝えたいことじゃないのかもしれない。分からないふりをすることがいいのかもしれない。可能性としてはその解釈がアリだとしても、それを棄却しないといけない。なぜなら・・・、その可能性を中心とすえてしまったら、相手を貶めると同時に、自分がつまらない拘りをもつことになる。持っていてもいいけど、それを重視するというのは少し嫌だ。

でも、もしかして、その僅かな機微を分かって欲しいのかもしれない。プライドの高い人は自分の弱さをそういうふうに伝えるのかもしれない。でも、本当に伝えたかったら、そのうちもう少し分かりやすい言い方で言ってくるだろう、と思っていればいいか。