自己愛(まだ考え中)

自分のことを嫌いとか好きとか難しいな。どうも判断しづらい。好きな要素と嫌な要素が混在している。まったく同じ自分がもう一人いたら自分はその人を好きになれるかな?それとも憎むかな?どうだろう。

自己を愛さずして他人を愛せない。
id:automate_tomo:20040324より引用。)

自分というもの軌跡にどうしようもないほど愛着を持つというのもあるんだけど・・・。「自分を愛している」ってやっぱり私は言いづらいんだ。自分に対しても(他者と同じように)愛と憎しみが混在する気がする。混在しているなら、「愛している」、って言ってもいいのかな。ただ、「愛」だけではない、と思う。

自分でさえも愛せない自分を、他人の誰が愛してくれるのであろうか。

けっこう重い言葉。どっちにしろ、「自分を好き」って私が「言う」ためには、私が今まで生きてきた過程で自分にかけた多重のプロテクトが解除されないとだめかな。もしかしたら、ある瞬間、「自分が好き」って言える時があるかもしれない、とは思う。その時、他人を心から愛せるかもしれない。そのとき、誰かが私を愛してくれるかもしれない、と少しだけ思う。・・・誰かが愛してくれるから、自分を愛すことができて、他人を愛することができるのかもしれない。

『映画に毛が三3本!』(黒田硫黄)で

モテないのは愛される能力が足りないからではなく
何かしら愛する能力が有り余っておるとモテる
のではないか

とあった。どうなのかな?ん、あんまりつながらない引用かな。ちょっと思い出したので。