また自己愛について書くことになろうとは・・・
id:automate_tomo:20040414#1081880391に対するコメント。
自己愛という言葉を使うとすり抜けてしまうというか、見えにくくなってしまうものもあると思います。もちろん、わかりやすくなる面もあるでしょう。何が見えにくくなってしまうのかというのを明確には表現できないので申し訳ないのですが。
立川談志の語りを見て、一部は肯定できるし、一部は肯定できないって思った。まぁ、話芸だからあんまり細かいことに突っ込んでもいけないかもしれないけどさ。
全部を自己愛とか自己満足で説明するのはいいけど、それはとっても大雑把な説明だ。その自己愛とか自己満足の内実が問題になっているのではないかと思うんだけど。何かを批判することだって、羞恥心を感じることだって自己満足になるわけで、立川談志ってとっても自己完結してる。でも、「イラクの問題を考える際にあんまり役に立たないな」って思いました。
イラクの人質問題はあんまり詳しく知らないし、すでに多くの場所で語られているので特に私が新しい論点を出せません。
「あの程度の事件が気になってしまうほど、あなたは普段面白い対象を持っていないの?」とか言えたらかっこいいかもしれないけど、まぁほどほど関心がありました。
肯定するにも否定するにもどれが信頼できる情報なのかも判断つかないからなぁ。
id:automate_tomoさんが言うには自己愛と自己陶酔とは違う。だから自己愛という言葉を使うときには他者の要素がどれだけ重要なのかをちゃんと言わないと片手落ちになる気がする。自己愛に含まれる自分と他者(社会とかもそうかな)のうち前者しか気にしていないように普通は思ってしまうんじゃないかな。
ゾウリムシの比喩を聞いた上で載せるにはあまりにも単純すぎるけど図を載せた。Aが個人でBがまた別の個人だとしよう。愛っていう言葉の一般的な使い方としては、Aという主体がBという対象を好きになる、っとしよう。A∩Bの要素があろうがなかろうがどうでもいい。自己愛はAの部分が愛する主体(subject)であり対象(object)。自己陶酔はAからA∩B(AとBの共有部分)を除いたもの、またはA∩Bが空集合ってことだと思う。そして、もう少し言うと、id:automoate_tomoさんの望む自己愛のあり方はどんどんA∩Bのような共有部分が増えていき、増えていくごとにAとB自体も変容していくものなんでしょう。
A∩Bっていかにも具体的っぽいけど、Bがどんな集合でどんな要素を持っているかAにはわからないので、A∩Bも本当のところはわからない。どれだけ共有しているかわからない。自分に投影する相手の像みたいなものなんだと思う。
・・・うーん外したかな。比喩を用いるのは危険なんだよね。id:automoate_tomoさんに二回も引用された
BさんはAさんに対して「自己満足で助けたんだから感謝する必要はない」と思うのは変だ。
とかも自分的にはあんまり良い例えではなかったと思っています。