そういう希望がないわけではない

もう、通じ合えない。
前提が違いすぎる。
いや、
違っているということに
やっと今気がついた。
強い感情の誘起。
それが涙。

私はこの人が大好きで、
私はこの人のことをもっと知りたい。
この人に私のことを好きでいて欲しいし、
私のことをもっと知って欲しい。

私が相手を知ることが私の意味ある
拡張につながると同時に
相手が私を知ることが相手の意味ある
拡張につながるという快感。

つながっている快感。

そんなものを夢見てしまう。
かなえられない夢想だけれど。


もしかすると、この人かも。
あれも、これも通じる。
「こんなことってありえる?」
信じられない。

・・・えっ。

反例がでちゃった。
あぁ、全てぶち壊し。

・・・互いの違いを確かめるのがコミュニケーションなのかな。
譲れない一線。
守るべき一線。
そういうのが人にはあるものだし、
私にもある。

でも、そんなつまらないものに囚われるとは。
今までの言葉のやり取りはなんだったの?

「白熱した言葉の応酬の中にいて幸せだった私」
というものも色褪せて見える。
意味あるものであったと信じたい私が今ここにいるだけ。


でも、
その違いこそが、
譲れない一線こそが価値。

私は
私とは相容れない相手の
譲れない一線に
価値を置くことができるのか?
パーソナリティを認めることができるのか?

相手は
私の譲れない一線を
許容してくれるのか?
それでも私という総体に
意味と価値を見出してくれるのか?


たぶん、
その先に、
私の知らない、
何かがあるんじゃないかな?
そういう希望が、無いわけではない。