2001/12/28のMemo 可能性は無限だというが、残された時間は明らかに有限だ。
基礎物理実験のレポートを採点しています。「これはちょっと…」って言うレポートがあって、「教え方が悪かったのかなぁ」って反省してみる。
でもでもでもさ、そんなに高いこと要求したかな?だって、インターネットを通して30分くらいかければ、その情報は集まってくる。グラフの書き方だって、ちゃーんと渡されているはずのプリントにかいてある。駄目押しで、図を綺麗に書きましょうなんて言ったし。っていうと愚痴になってしまう気がするな。
まぁ、しかたがありません。思うのですが、私はお金を貰ってTAをやっています。しかし、「どこまで」時間をかけて下調べをし、「どこまで」相手に対して教えるべきなのかの基準は曖昧模糊です。
採点だっておそらく1レポートに5分かけようが、40分かけようが点数自体はあまりかわらない。ただ、どこまで私なりの意図、教育的配慮とかいう曖昧なものを入れるかが問題です。「好きなだけやればいいじゃない」っていうけど、少なくとも最低限度のことはやらなければいけない。悪いところは指摘し、これからは改善するように指導し、良いところはほめて、やる気を出させるようにするとか。
私は対して物理学の知識がないし、めんどくさがり屋なので最低限のことしかできないかもしれないし、そんなにたいそうなことをやるつもりもない。けれど、ただ「やらなければいけないとされているからやる」ではなく、私はその一線までやる、という基準を-複数のcriteriaを-持っていたほうが良いのだと思う。そうしなければ、他者と、そして何よりも自分の怠惰な性質に流されるから。