http://d.hatena.ne.jp/fujisawamasashi/comment?date=20040605#cに関連して。脈絡なくぼそぼそと。
一般的な効果、というのは「叶うか、叶わないか」という意味で使いました。
祈ることによって願いは叶うものかな?祈ることに変わる事があるとすれば第一に自分だと思う。自分が変われば身近な他人も影響を受ける。
統計でいくと信仰をもっている人の場合、一般の人に比べてガンの進行が遅い、という事もあるにはあるそうなので、それも祈りの一般的な効果につながるのかもしれませんね。
それは、正しいデータなのかもしれないけど、「信仰」と直接結びつくのかをはっきりさせるのは難しい問題だと思う。信仰を持っていると何らかのコミュニティに属している可能性は高いし、そういう人間関係があることが人を活性化させると思うし、快復を早める効果があるかもしれない。これらのデータをチェックするのはとても慎重であるべきだと思う。
とは言うものの、信仰が心身の安定を導く可能性は高いし、ガンなどの進行を遅くする可能性もあるので否定したいわけではありません。
ただ、目に見えないもの(内外問わず)を信じずに、祈りの部分を理解するのはなかなか難しいかもしれません。
だから、私には理解するのが難しいのかも。だから、自分の肉体で検知できるものが気になり、祈りについて文章を書いたのだと思います。
理論だけでは納得できない分野ですし、私も祈りを理論だけで表現するのはちょっと難しいです。私自身、理屈だけでは納得できなかったし。でもまたじっくり考えてみたいと思います。
無神論者に近い私が何に祈っているかという謎は置いといて、祈りの姿勢をとるとどういうような状態になるかも書いたつもり。私は絶対的な存在を想定できないだけ。
「納得する」と言う言葉はいろいろ深い意味がありそうですけど、自分が知っているものへ帰着させた場合に「納得」感を得ることがあります。もし、既知のことに帰着するのが難しい場合は、理解するために多くのコストをかける必要があります。・・・えっとこれは余談です。
人は何に祈るのかな?祈る対象を全ての人が明確化しているのかな?対象が不明確だったりするときもあるみたい。
そして、何を祈るのかな?それは祈ることによって叶うのかな?叶うものと叶わないものがあるとしたらその差は何かな?祈り方が足りないのか、祈っていることが悪いことなのか。祈りの成就に善悪とか関係あるのかな?
・・・というわけで、わからないことばっかりです(←強引な終わり方だなぁ)。