価値観とかいろいろいろ

  • 人がどんな価値観で行動しているのだろう?ってなんとなくわかりますが、なんとなくしかわかりません。
  • 他者の価値観を知っていれば、その人と付き合いやすくなると思います。
  • 私は言いたいことがたくさんありますが、私が話したいことを話す状況じゃないことが多いです。普段の会話だと過剰に言ってしまったり、重要なことが抜け落ちていたりします。
  • 会話のほうが便利なことも多いのです。相手の理解力に合わせて話せるし、書くより時間が短くてすむし(言いたいことを言うだけならね)。
  • でも、書いておけば多くの人が見ることができます。読んだ人もじっくり考えて反論ができるでしょう。
  • だから、書いています。
  • 無用な衝突を事前に防ぐためかもしれません。少し後ろ向きですけど。
  • 自分の価値観をわかってもらうことは大事なことだと思う。
  • その価値観にできるだけ沿った行動ができると良いと思う。難しいけどね。
  • 価値観をわかってもらう過程で、基本的に衝突が起こりうる。
  • 一人称に「私(わたし)」を使って「俺」とか「僕」を使わないのは理由があります。
  • 威張っているわけでも、へりくだっているわけでもないところがいいです。
  • 一人称として何を使うかは「言語感覚的なもの」や「人にどのように対するか」の問題でもあるので、他者に強制はできないことです。
  • でも一人称として「自分」を使うのは紛らわしいからやめて欲しいと思います。
  • 例えば「少しは自分のことを考えてよ」という意味が二つになるのが困る。
  • 他者を呼ぶときはどうすればいいのかなって思う。目上の人は「〜さん」とかで統一できるけど、目下の人は男女で、「〜くん」と「〜さん」で違ってしまう。なんか非対称でいやだなぁって思う。他に適切な言い方がないから使っているけど。
  • 会話をしていて、「それは間違っている!」と思っても説明が面倒だから話さない、と思うことが多々。これは誰もが日常生活で感じる普通のこと。でも、その間違いが何回も出てくるといらいらしてくるので、ひとまず文章にしておくのもいいかもしれない。
  • 「そんなことどうでもいいじゃない!」ってことが多いのだけど。
  • 「自分の価値観は自然に相手に伝わる」なんて言うのは基本的に甘えていることだと思う。
  • 人格者だったらできるかもしれないが。
  • 行動はとても大事。
  • でも、言葉で伝えられることもあるだろうし、言葉でしか伝えられないこともあるかもしれない。
  • 細かいどうでもいいことに気が行ってしまう私の性癖は早いうちにどうにかしたほうがいいと思う。
  • 例えば「このHTML文書は汚い」とか「他のページへのリンクでは『フレーム解除』くらいしてくれ」とか「発表で使う図はちゃんと画像処理して綺麗に見せてよ」とか瑣末なことでいつもいらいらしているのは、極めて不健康というかただの馬鹿だ。
  • 脱線するけど、T先生は図を綺麗にすることにとってもこだわっていると思う。助手さんもそうかな。
  • 図などは論文にとってとっても重要なファクターだから、そういう意味のあるところにこだわるのはとても大事なことだと思う。
  • 「最低限わかればいいだろ」じゃなくて、「簡潔に」「明確に」「インパクトを持った」「再使用に耐えられるものを」という感じかな。
  • 「拘る」ってあまりいい意味じゃないかな。「思い入れがある」だとニュアンスが違うし。
  • 価値観をわかってもらうというのは、「おなじ価値観を持つべきだ」って言っているわけではありません。
  • 相手の価値観を知っていると、つまらないことで怒らなくてもよくなるでしょう。
  • 自分と他人とは一線をどこかで引かなければいけないわけであって(線というよりゾーンだけど)、そういうのがある程度はわかっていたほうが良いのです。
  • 無用なコンフリクトを避けることができます。
  • でも、わかってもらうためにはコンフリクトが回避できなかったりすると、どれだけコストをかけるべきか迷います。
  • でも、最低限は自分の立ち位置を示すのは必要みたいです。
  • 私のこういう言葉も、普段の私の言動とかで検証されます。まぁ、フェアでいいでしょう。
  • 等身大以上のことを書くのは、書いていることの信頼性をきわめて低める効果があります。
  • こういうことわざわざ書いて何で墓穴を掘っているんだ??って思います。性癖ですね。
  • 「男は黙って行動あるのみ」、という性差別発言をしてもいいのですけど。
  • 「男は」「女は」を「人は」で代替できるものは、代替して欲しいです。
  • 「男は黙って〜」だって「じゃぁ、女は?」ってことになりますね。
  • 男女の性差から生じるようような行動は存在しますが、普段は言及するのを避けます。
  • 自分の価値体系の多くの部分を理解してもらえないと険悪な間柄になりそうですし。
  • 誤解も理解?まぁ、そうですけど、やっぱり何にコストをかけるかの問題。
  • 「大きな声」というのも生きていくための重要な武器です。私の武器は何かな?
  • 価値観の押し付け傾向は年とともに増加しそうな気がするので気をつけないといけません。
  • 良い意味で鈍感な人か、簡単には揺るがない価値観の人に対してなら、私もあまり気兼ねしないでどんどん自分を出せるかな?
  • でも、まぁ言いたいことは最初は我慢していてもすぐにいってしまう気もしますが。
  • 趣味や好みと職業倫理的な価値観とは区別しないといけないですね。
  • まぁ、学生は自由にするのがいいのかもしれませんが。
  • 基礎能力がない人間に対して、自由や独創性を強調するのは危険だと思います。
  • なんでわざわざ後輩なんか指導しなければいけないのか?て思う人いるかな?
  • 「人に教えるのが一番の勉強になる」とか言うくらいじゃ、そういう人の考えは変わらないでしょうね。
  • お互いの時間が有意義に使えるようになる関与であれば、人間関係としてよいですね。
  • 加齢すればするほど、残りの時間は少なくなっていくわけであって、雑用は手早くこなして有意義に時間を使いたいもの。
  • 物理学のことに思いを巡らすなんて甘美な時間の過ごし方ですよね(えっ、苦痛?)。
  • そこそこの障害を乗り越えたときに人は達成感を感じるらしいです(←ああー、誠意がないなー)。
  • 利他性と利己性は簡単に区別はできません。
  • 単純に「あなたはエゴイスティック」って誰かに言えるのものかな?
  • 批判されるくらいにならないとねぇ。
  • 親身に批判してくれる人の価値はとても高い。
  • 「あなたのあの行動の悪い」と言っただけで「あなたは全面的に悪い」と言ったと思われることがある。
  • 「弱い」と「悪い」は別のことだし、「弱い」を責めてもしょうがない気もする。
  • 「弱さ」は何らかの形で補うことができる(まぁ、近視の人がメガネやコンタクトをつけるようなもの)。
  • でも、自分の「弱さ」に気がつきつつ放置し、他者に迷惑をかけたとしたら、それは悪いことかもしれない。
  • 誰かに文句を言われているくらいが安心。ひとまず、そこを改善することを考慮に入れることができるし。
  • 墓穴を掘るようなことばかり書いている気がしてきた。背水の陣くらいにはならなんかなぁ。