渡世
タテマエとホンネがあることをアプリオリに”はいはい、タテマエの部分さえ守っていればいいんですよねえ、みなさん”という開き直った態度がどーにもこうにも私を苛立たせるのである。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20070402#p1
私も、その種の態度に苛立ちを覚えます。
そういう苛立ちは表面には出さないようにしたいのだけど、表に出てしまうようです。私の気質によるものかもしれません。本音と建前ができるだけ近いほうがいいと思うし。まぁ、研究関連の申請書や報告書は別ですが(←いいのか?)。
アプリオリが困る。心の中のせめぎ合いくらいを見せてよ、って思う。それとも、そういうせめぎ合いがないのかなぁ。
もちろん、程度の問題ではあるのですけど。
何を重要と思うかは人それぞれであるので、自分が重要視しないものは、とりあえず、建前だけでいいや、というのも一つの考え方かな。人が持つリソースは限られているわけだし。ただ、一緒に仕事をする人が自分に対して、本音と建前をあまりにも使い分けるような態度であると(以下略)。
仲がよい人同士だと、本音と建前とを使ったジョークとかもできますね。揶揄のヴァリエーションとしても使える。
関連して、下記とか。
まとめると、「『言説』と『行動』の不一致って嫌だねー」ってことだったかも。
http://d.hatena.ne.jp/fujisawamasashi/20070330#p1
処世術ばかりうまい「大人」な対応に対する苛立ちなのかもしれない。 「結局、本質は何なの?」って問いを、どこまで持ち続けられるものなのだろう?