まだまだ自己愛

id:automate_tomo:20040324より引用

この例からは私が表現したい自己愛は説明できない。だって的外れだからだ。

すみません、ちょっと考えなしに書いてしまったかも。ずれたことを書いているという自覚は少しありました。

id:automate_tomoさんの言う自己愛について、気になることを少しだけ書いておく。

  • 自己愛と自己陶酔と違うのですよね。
  • 「自分の亜種を愛する」・・・なるほど。私にはこの表現が分かりやすい。
  • 自己愛とは自分ひとりだけでは自分を愛しきれないものでしょうか?自分ひとりだけでは不安が付きまとい、もだえ苦しむ。自信を持つことができない。
  • 他者の中に自己の相似の存在を確認して初めて安心することができる(本当に相似かどうかの不安は残るものの、片鱗を感じることができるだけで少しだけ不安や焦燥は安らぐ)。

私は恋人の自己愛を写す人形になりたい

もう少しで掴めそうな気がするんだけど・・・。「私は恋人を自己愛を写す人形とする」という前提*1において、「私は恋人の自己愛を写す人形になりたい(人形でありたい)」*2という双方向性の視点が必要なんだな、って思った。

*1:恋人[好きな人]って言っているんだから、ある意味当然の前提かな。

*2:相手にも私の中に、相手自身を見出して欲しい、ってこと。

弱さ

id:fujisawamasashi:20040324#1080140320に書いたこと。

もしかしたら、ある瞬間、「自分が好き」って言える時があるかもしれない、とは思う。その時、他人を心から愛せるかもしれない。そのとき、誰かが私を愛してくれるかもしれない、と少しだけ思う。・・・誰かが愛してくれるから、自分を愛すことができて、他人を愛することができるのかもしれない。

・・・はぁ(溜息)。なんで、こう自分の弱点と思われることを書いちゃうかな。自分の心を守るために作ったプロテクトを一時的に一部分だけ解除していたのかもね。誰かに「愛してください」って遠まわしに言っているみたいでさもしくて情けないぞ。そういう読みは禁止です。


森博嗣の短編集『まどろみ消去』の中の『虚空の黙祷者』で

「誰もが、自分がこうして生きているところを、自分のすぐ近くで誰かに見守ってほしい。そう思うものです。」

なんて台詞があった。

ついでに、こっち
http://www2.odn.ne.jp/~han52740/ns/memo/memo0403.html#m02a
にも引用したけど、『笑わない数学者』(森博嗣)に

「人間の最も弱い部分とは、他人の干渉を受けたいという感情だ」

なんて書いてある。

「自分の弱さに身を任せたい」、という想いはある。でも、その弱さを嫌悪する気持ちもある。嫌悪の由来は、愛が得られていない、からかもしれない。でもそれだけじゃなくて、強さへの羨望みたいなものがある。

他人というのは、いつかいなくなってしまう。結局、人は孤独だとも思う。自分が簡単に影響・干渉をうけ、心が揺らいでしまうことへの腹立たしさもある。自分自身の中に絶対的な価値観を見出したいという思いもある。

他者の干渉が欲しいという「弱さ」を否定したいわけじゃない。でも干渉はなかなか得られない。自分から干渉して相手を傷つけることもままある。この相互に干渉・影響しあいたいという「弱さ」は苦しみに繋がる。だからその苦しみから逃れるために、なんとか「弱さ」克服したいって、私の一部は思うのだ。

これも弱さの一種かな

2001/12/16<支え>
わかって欲しくても言わない。
口に出せば甘えてしまうから。
心の中に甘えを許容してしまうから。
強くありたいから。胸をはって生きたいから。

それは全ての人に対してというわけではないけど。
尊敬する、
私の大事なあの人に、
対等だとみなせる、
かけがえのないあの人にたいして。

あの人に対してだけは私の弱みを見せて
慰めてほしいという思いもあるけど。

それをどうしても否定したい。
それに、たぶんダイレクトにいわなくても、わかってくれる。
それに、あの人に迷惑をかけたくない。
煩わしいと思ってほしくない。

お互い一人で立って行けると思う。
なぜなら、信じているから。

私が一人でやっていけるという事実が
あの人も一人でやっていけるということを示すし、
その事実が私を励ますし、
あの人を励ますことになると
信じているから。

だから、あのひとも決して泣き言を言わない、のだと思う。
私はそのように想定している。そのように認識している。
「辛いこともないとは言わないけど、なんとかがんばれるよ」
って笑顔で言って、あの人を安心させてあげたい。
それが私の力になるから。