お話 第35話 自らの正しさ

【注意】
下記文章は、2007年4月に、旧ページの内容を転載したものです。リンク先などは存在しない場合があります。また、旧サイトの構成などを知らないとわけがわからない文章なども存在します。ご了承ください。大変愚かで、頭が痛くなるような文章もあります。
「本当の自分」とかを探している人たちがいたりするわけ。
じゃぁ、今のあなたは「偽者の自分」?
「偽者の自分」って何だよ?って思わない?
見つけた「本当の自分」がめちゃくちゃ駄目駄目で
嫌なやつだったりしてもいいの?

生きていることを考える際に位置と速度を考える。
何か足りないと思って歩み続けるのも自分だし、
どうでもいい自己満足によって進めなくなってしまうのも自分。
希望を持っていられるのも自分だし・・・

静的なものとして捕らえようとするから捕らえられない。
他者と、または過去と比べて出てくるのは差分のみ。
だから、
自分探しとは、
今の自分にフィットする対象を見つけたいってことだと思う。
抽象的なものというより、具体性をもったもの。

自分を突き動かしてくれるもの。
いわば動機であり動力であり目的である。

そういえば目標と目的と方法を書かされたことがあった。
目標と目的は同じではないの?
似ているものを書かせるから目標と目的の定義を
ちゃんとしないといけなくなる。
こいつは馬鹿か?ってはっきり言ってやったほうがいいのか?

思いっきり皮肉を利かせた言葉を吐いても良いけどね。
長々と説明を求めて議事の進行を遅らせるのもいいかも。
自分ひとりで最低限のことが保障されており、
大して希望もなければそういう
自己満足ゲームをやってしまうかも。

脱線を戻して、
おそらく、
自分がやっていることが正しいという感覚こそ、
本当の自分なのかな。
本当のというより好ましい状態にいる自分だと思うけど。
えてして、
無駄をしているんじゃないかとか、
間違っているんじゃないかとか
そういう雑念がいろんなことをしていると出てくるじゃない。
大体無意味なんだけどさ。

みんな無駄は嫌だし、
だから無駄に見えても意味づけするし、
間違うのも大切だって言うの。
それを否定したいわけじゃないけど。
そういう機能に酔っていてはいけないと思うのだ。

でも、
なんとなく近道をしたいと言いつつ、
ゆっくり遠くを歩いてきたりする。
それが人間なのかな。
過程なんか楽しんでいたら、
すぐに人生は終わってしまうのに。
それもまた良し?
何でかな?