人形は「人形でありたい」とは決して言わない

何かしらの自分という人間の情報を、そう、簡単に解読することが出来る状態にまで翻訳した私のDNAを誰かに解読して欲しかった、二重螺旋であるかの如くに何かしら意思を寄り添わせて欲しかったのだと思うのです。

上記はid:automate_tomo:20040305さん文章の引用です。この日の日記を読んだ後で、いろいろ考えたことを脈絡なく箇条書きに綴っていく。このページのスタンスはmemoのそのまた下書きだし、アイデアや思いつきの一部を書きとめたもの、という程度の意味しかないのでそのつもりで。

  • 二重螺旋の比喩が面白かった。
  • 私は、「心をトレースする」という言い方を良く使う。それは自分の心を文章に変換していくこと。トレーシングペーパーを当ててなぞっていくような快感。*1
  • 自分の心だけでなく、他者の心もトレースしたいって欲望はあるかもね。独白に近い文章は独りよがりで、他者には通じづらい。その間というか穴を埋めてみたいってのはあるかも。それは誰に対しても、ってことじゃないけど。
  • だから、自分なりに「他者を理解しよう」っていう意図から書いているわけであって、その他者にとっては、「何当たり前のこと言ってんだ、こいつ?」「その解釈は明らかな間違いだ」「これでわかったつもり?」「蛇足を重ねている」って思うこともあるんじゃないかな。
  • 理解というより「他者の言葉のつながりを自分の心で解釈する」かもしれない。自分の理性や感覚、感情、体験などと照らし合わせて、穴だらけのストーリィを埋める。それは単なる理解したつもりなのだけど。でも、それで私は少し安心するんだ。それだけなら、他者に迷惑をかけることもないんだけど、それを文章化する。「これであっている?」、って、見せることなんて普段はないけど。
  • 他者の考えを自分に組み込んでみたい。そういう欲っていうのもあるのかもしれないって気がついた。または、他者の出した文章は自分の現在の解釈能力で処理可能なのか?というか、プログラムの逆コンパイルしてソースコードを探ってみたいというか。もちろんその逆コンパイルしたソースは本来とはかけ離れているのかもしれないけど、スピリットというか意志のかけらが見えるかもしれない。
  • 他者の文章の解釈をすること。そして自分なりにまた発信をすること。その他者もそれをして、その応答から何かを得る。他者を理解するってどういうことなんだろう?そして応答を、何故人はここまで欲するのだろう?
  • そもそも理解しづらい・理解できないっていうのがデフォルトって気もする。だから理解されたりするのがうれしい。それは理解の質を高く求めすぎだからだろうか?応答が出来ていれば、ひとまずの理解っていう解釈でもいいんだけど。
  • 「意思を寄り添わせて」ということは「謎賭け(「簡単に翻訳したものを解釈してよ!」)」と「解読(「えっと、こういう意味ですか?」)」のゲームをお互いにし合うってことかな?それとも、謎を出すのは片方だけ?私はそれが気になった。
  • そもそもid:automate_tomoさんの書くものは難解だ。ひとまず、私の語彙のレベルが低すぎるという理由も大きいけれど。知らない固有名詞と専門用語の目白押し、読んでも「快楽」なんて言えない。だって、わからないんだもん。ただ、部分的に面白いなって思うことがある程度。
  • ・・・あれ、はてなの日記ページ見ていたら1978年9月ってのもあるのね。むむ、これ以上読むべきか、読まざるべきか。別のサイトへのリンクもありますね。まぁインプットばかりしていると、何もアウトプットできないので、読まずに書いてしまえ。今に近い時間を優先だ。
  • SMのことはよくわからないけど、Mは極めて受身的な支配欲なのかな?って読んでいてそんな気がした。素養というか知識がないからSMとかでid:automate_tomoさんの文章を読み解くことは私にはできない。愛する相手が自分の奴隷になってしまったら、私は嫌だなって思う。自分が相手の奴隷になるのも、自分はいいかもしれないけど、相手を思うと嫌だ。もちろん、カップル間の依存関係のあり方は、実際いろいろあると思うし、それも関係のあり方なんだとは理解しようとは思うけど。
  • 恋愛関係は、互いに個として立っているからことが重要な気がする。どんなに違っても、能力の差があっても、互いを個としてみとめ尊重することから始まる気がする。・・・くさいかな?「依存している振りでーす」って言うのもあるかもね。でも、自分と極めて等価な相手を狂おしいほど望み、その等価な相手から拒否されるのを恐れるのではないかな。等価性が緊張感を生み出す気がする。あぁー、でも相手に依存するのも楽しそうだな。「相手色に染まってみるの!」って感じ?アホくさいと言うなかれ。なんか、「自分は良いポジションにいたい」「考えないでよくて、責任もとらない」「ただ流されるだけ」、・・・そうでもない?
  • 自分が尊敬するような相手から、見下されても仕方がないとは思う。自分の駄目加減は知っている。でも極めて等価だと思っていた相手からだとどうだろう?もしかしたら自分とつりあう人がいるかもしれない、ってたまに想定する。それは相手も自分を認めてくれるし、自分も相手を認められるっていう人間関係。それが最高かどうかわからないけど。相手がそうなのかは決してわからない。でもその一縷の望みをかけられそうな人がもし現実に現れたら?その一縷の望みをかけていた人から、自分を否定されたら?喪失の恐怖を味わいながら付き合うしかないのだろうか?どんなに好きだって言ってくれたって、その怖さはなくならないのでは?って気もする。そう、緊張感を持った言葉の隙間にしか、そんなものは生まれないのではないだろうか。応答が起こっている、ただそれだけで・その瞬間が価値である。そして喪失の恐怖にさらされながら言葉をいつまでも綴り続ける。返事が帰ってこないかもしれない手紙を出さずにはいられない。それは多分弱さなのだ。
  • 言葉を綴り続けなければ、プライドは保てる。「あんなのこっちからお断りだよ」って。とは言うものの、返事が返ってきたときの喜びを考えると、プライドは消し飛ぶ程度の意味しかない。
  • 理想の恋愛像を語りそうになってしまった、危ういもんだ。これは絶対避けるべきお話である。特に文章化してはいけないものだ。
  • 「メタファーとしてのセックス」ということなので実際の性的な部分をひとまず無視して考えると何が残るのだろうか?

まぁ、こんな感じでうだうだ考えていた。よくわかないから、何でid:automatea_tomoさんはあんな妖しい文章を書くんだ?ってことを考えてみた。

ひとまず、id:automate_tomoさんは恋愛の一形態を描いている、としよう。例えば、被支配欲と被干渉欲について考えてみる。支配されること・干渉されることを詩の中で記述している。もっと詳しく言えば「私が望むように、あなたに私を支配して欲しい」という欲望。「自分が相手を支配したい」とは書かないけど、とても自己主張の激しさを感じる。自己主張が激しくなければ、こんなたくさん文章書けない。「支配されたい」「干渉されたい」というより、私の感覚では「酔わせてもらいたい」なのかな?って気もする。酔うとはどういう状況?正常な判断ができなくなって、気持ちよくなっている状況です。「私を完全に酔わせてくれるなら、私の全てをあなたに任します」という文章があったとすると、読点より前の部分がめちゃくちゃ重い。読点以後はおまけ。「私を完全に酔わせる対象が欲しい!」と言う欲。でも、そんなものなかなかない。ないということも知っている。だからそんなごちゃごちゃした想いを文章にする。

さて、こんな感じのことを考えながらトレースしてみると下記の文章になる。

自分に自信はある。
思考速度も十分過ぎるほど速い。
だから、
他者と話していても相手が自分のスピードに
ついて来れないから物足りない。
一方で、
つまらないことを考える自分が疎ましい。
「もっと馬鹿であれば良かったのに」
って考える。

自分にとってじぶんの自我の強さが負担だ。
自分の思考能力以上の力で、
自分を押さえ込んで欲しい。
または自分の思考能力を奪うほど
魅力的なものに存在して欲しい。
そして自分はそれに没頭したい。
安心できるものに埋没してしまいたい。
しかし、
なかなかそのような対象は得られないので、
つまらないもので時間を潰す。
得られないことによる焦燥と不安。
そして、
それを打ち消すために文章を綴る。
別にセックスに焦がれているわけじゃない。
異性が欲しいわけでもない。
熱中できる対象。
自己に強い衝動を引き起こさせる対象。
それは物でもいいのだ。
ただ、物ではやはり飽きてしまう。
正しくなくてもいいから、
焦がれるような思いで没頭して熱中して、
自分自身というものを考える時間をなくしてしまいたい。
恋愛-人を好きになること-には
その可能性があるのではないだろうか?
実際、シミュラークル氏と付き合っているときは
そういう状況だった。
自分に内在する全ての人格を黙らせて、
自分は一途になれた。
モヤモヤした霧の中でどちらに向かえば
良いのかわからなかった自分に道を示す声。
または闇の中の光明。
頭が狂うほどの恋をしてみたい、という想い。

私は、この種のいつも熱にうなされているようにアグレッシブな人は実際に知っている。そういう人は何かに興味を失っても、また面白いものをまた見つけてくるし、id:automate_tomoも何か[誰か]見つかるのではないかと思う。野次馬的な関心で申し訳ないのだが、id:automate_tomoさんにあたらしく熱狂できる対象が生まれたら、文章がどうかわるのかってすごい興味がある。もしかすると変わらないかもしれない。わざわざ新しい恋人ができました、ってウェブ上で言わないと思うし。もしかするとそのときは、文章なんてもう書かなくなってしまうかもしれない。

余剰な思考力をなんとかしたいのかな?って少し感じる。でも、id:automate_tomoさんに余剰を残させない人ってなかなかいないのじゃないかな。すばやい思考をする人はたくさんいるけど、id:automate_tomoさんが熱中できる対象が偶然近くにいるっていうのは考えにくい。シミュラークル氏を逃してしまったのは、奪えなかったのはやっぱり辛いことだったんだろうな、って思う。そして、その辛さを原動力に文章を書く。


あーぁ、でもこれも多分見当外しまくっているんだろうな。なんか書く前に全部読めって言われるかもしれないけど。読むとしても少しずつ消化していかないと消化不良になるしなぁ。たぶんいきなり全部読むと私の頭の処理能力を超えてしまい、それが自分の頭の中でよく分からない形でくみ上げられて、部分的に相手に同化してしまう気がする。実際、私はたまに無意識的にそういうことして、他のものを取り込むことがあるみたい。ひとまず私の理性に近い面で制御しつつ解釈だけした。だいたい同化してしまってはつまらないだろう、相手もね。

まぁ、他人を理解できたなんて思うのがおこがましいのだ。id:automate_tomoさんの出した文章を自分なりに解釈しなおして配列しなおしてみるとあんな感じかなって程度なのだ。私にとっての、id:automate_tomoさんを近似したもの。例え正しくても-その可能性は極めて低いのだが-それは微小な一部分に過ぎないのだ。お前はなんでその微小にこだわるのだ?って言われるかもしれない。「だって、その微小に興味がわいたからだよ」って答えよう。人は自分の関心がないことはお座なりにしか考えられないものだ。私だってid:automate_tomoさんの文章が心に引っかかったから文章を書いているだけであって、引っかからなかったら書いたりしないのだ。私はカウンセラーじゃないし、金をもらっているわけでもないのだ。

第一近似でいろいろな文章を解釈しやすくなったら、個々の文章について第二近似、第三近似と重ねて、もう少し理解しやすくなるかもしれない。

個人的には第一次というより零次なんだけどね。この母体[マトリックス]から出てくるなら納得できるっていう程度。主軸があって、それからの派生か本筋かが見極められれば、理解しやすい。そう、解読とは安心するためだ。たくさんの文章に共通する要素、本質を見つけて、圧縮して自分の中に保存しておけるように。それはたぶん、ニュートンの力学の三つの法則[慣性系の定義、加速度と力の関係、作用反作用]で多くの事象を説明できることのようにチャレンジングな仕事。

相手の返事を期待している?まぁ、少しは。でも現時点では、私の中で自己完結しそうな流れなので、このままこの話はもうしないかもしれない。この解釈はめちゃくちゃで、実際はこうだ!って言ってくれると楽しいな。また、新しいことを考えられそう。結局理解できないんだって落ちも仕方がないかとは思う。あぁあぁ、間違ったときに落ち込まないように防御機構ばかり働かせて見苦しい。

自分のことを分かって欲しいって強く願うときもあるけど、この文章書いていたら疑問に思ってきた。こんな感じで他人に解釈されても嫌かもしれない、って思う。精神分析とかされることをなんとなく私は嫌悪してしまうのだ。そう、好きなくせにね。そんなの私じゃない!って多分言うな、私なら。

*1:最近はやらないけど、好きな絵をトレーシングペーパーでなぞったりよくしてました。テスト前とか逃避で。今数えてみたら25,6枚あった(ファイリングしてあるのだ)。あの快感はどういう由来なのかよくわからない。ちなみに絶対他人に見せるつもりはない。元絵があれじゃねぇ。私の恥ずかしい趣味の一つ。まぁ、人には言えないというわけではないが。