「わかる人だけわかればいい」って普通のことだよね

id:fujisawamasashi:20040502#p2の続き。

「日録」http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/diary.htmlの6月4日の記事「アップデートなお続く」http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/diary2004-06.html##04経由で
「技術系サラリーマンの交差点」http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/の2004.05.31の記事。「実名の人たちのゆるいコミュニティがある」
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post_12.html
というのを読む。

「日録」に

引用もリンクもなしで“仄めかし in 文中”という高等ワザを使うこともあります.ちゃんと読み取っていただいてるようでウレシイな.※こういうのが〈実名の人たちのゆるいコミュニティ〉(5月31日付)の密やかな愉しみなんでしょうかね,津村ゆかりさん.

ってあって、「交差点」には

blog を始めてからだんだんと、三中さんや荒木圭典さんや鈴木クニエさんや鈴木聡さんのような皆さんが、トラックバックもコメントも介さずに会話してらっしゃるみたいだとわかってきた。専攻分野が近いわけでもないし、ウェブリングのような仕組みを使っているわけでもない。共通の関心や感性で、流れによって自然に繋がるみたい。

なんてあって、「個として立っている」&「ゆるいつながり」が価値なのかなぁ、って思った。

「仄めかし」って何で面白いのかな。たぶん、対象を好きな人だけにわかるから良いのだと思う。





・・・でも、「何かありそうだけどわからない」ということのほうが圧倒的に多くて、「何これ〜、はっきりして〜」と思うこともまた多い。できれば、本文を遡ってみればわかるようになっていて欲しいものである。