なんかのメモ

私の攻撃性はなんか間違っている方向に向いている気がします。

  • ゼミとかで。私ばっかり何か言ってもしょうがないので。っていうか本当にどうしようもないので。っていうか甘やかすことになりそうなので。議論を誘発するようにしないとだめですね。
  • 「半年ゼミをやって3回しか質問しませんでした」とか馬鹿げた状況はやっぱりだめでしょう。
  • 面白いとはどういうことか。つながりを認識すること。それもひとつ。だからつながりの手がかりを。全部言ってはだめ。でも思わせぶりでもだめ。
  • ひとまず質問議論できる雰囲気を。稚拙でもいいから。研究室内で恥ずかしがっても仕方がないんだし。
  • それはとても抽象的で。
  • 相手を試して。知識・思考力がどの程度あるかを認識することの重要性。
  • やる気がある奴がやればいい、というのは多分正しい。でも、私はエゴイスティックな選択肢を採ることにする。忘れずに。
  • 「それは役に立ちますか?」という質問には必ず答えることができなければいけない。でも、「その問いを発する前に、あなたはちゃんと考えた?」という返しも必要かも。「それが役に立つことをあなたは想定できないの?」とか「それを役立てる方法はそちらで考えればいい。」とか
  • どうも、皮肉的になるな。アイロニカルな発言は相手の言葉を封じてしまう性質があるので注意。そういうことで手法を用いるのは相手がそういうものに耐性がある場合のみにするべき。誠意を持った対応というのは難しいけど。
  • 人を駆動するのは何か?というのは大事なことなので。大事なのは自分を駆動するのは何かを見誤らないこと
  • 多面性とかを言葉で言うのは簡単。でも実践あるのみかも。
  • 舌打ちしたり、溜息ついたりする私。苛立ちを少しは隠せないのか?って思う。瑣末なことに苛立ちをあらわして卑小さをアピールしているみたいだ。
  • 「無視かよ」って言葉は嫌い。「自分の話をしっかりと聞いて欲しい」「自分の話に応えて欲しい」なら言い方があるはず。
  • 言葉と人とは乖離する。嘘でなくても適切ではない。まぁ、相手が欺瞞を見破れないからだまされる、というのもあるかもしれないけど。そして、そういう相手に苛立ちを覚えていたりしては世話はない。屈折しているようで、明らかなこと・はっきりしていることがひとつ。
  • 教育とは何か知識を覚えさせるというのもあるだろうけど、適切・まっとうな疑問を呈する能力をつけることもあるだろう。そのためにいくつもおもちゃ(モデル)で遊ばせる。
  • 書くことは極めて断片的。切り取られたもの。記憶・発想を思い出すための手がかり。
  • たぶん、「それは当たり前のことだよ」「知ってました」「わざわざ言うこと?」・・・とか言われるんだろうな。私は空気が読めない奴。でも、当たり前なら当たり前でいい。泥臭くても私なりのアプローチの仕方があると思う。
  • 何がわからないかがわからないもの。だから、何がわからないかを考える。
  • 行動の裏には意思や哲学がある。行動様式。パターンとか。周りの人間の、かかわる人間のそういうのをある程度把握するのは効率よく、無駄に生きないために必要。
  • がんばれ、とか言う前に。
  • 何に帰着させればいくつかの無駄で嫌なものを封じることができるか考えないと。
  • 権力より、言葉自体の正しさで相手を動かせない?
  • 対「価値相対主義者」戦にはいろいろ知識を共有する必要がある。ひとまず、「"重要"とはどういうことか?」あたりから説明しなければいけないのだろうか?
  • ニヒリズムナルシシズム個人主義などに帰着させがち。そして全体主義的なものを攻撃しがち。そして差異にばかり目を向け、共有する多くの部分に目を背けがち。そういうのに私はいらいらする。
  • 相手が何に帰着させるかをしっかりと把握することが重要。そして、なぜそれに帰着させたのかをはっきりさせること。帰着させたところが案外根拠が薄かったりする。また帰着させるものとは相反するものを、同じところに帰着させることができたりする。
  • 議論において相手の隠れた目的を把握することは大事。それが暴露されたりすると恥ずかしいような場合もある。「そんな背景があるんじゃないよね?」って感じで相手の意見の変容を狙ってもいいし、別のルートでももっと適切にその隠れた目的を達成できることを示してもいい。
  • 虫歯で歯が痛くなる仕組みをわかっていても、歯痛が和らぐわけでもない。ではわかることに何の意義があるだろうか?
  • 分かってくれって言う前に、わかってもらうと相手にプラスになるようなものが自分の中にあるか確認してる?