あまりに甘美な読書の時間

当たり前だけど、読むのには時間がかかる。その使用した時間に対するものを私は得ただろうか?



それを考えると怖い。


フィクション系の本を読むと感動したりする。その感動は私自身をまるで特別な存在であるように感じさせてしまったりする。でも、読む前の私と、読んだ後の私と何が違う?

少しは違うかもしれないけど、ほとんど違わないのかも知れない。そして、サボる言い訳ばかりがうまくなっているような気がする。


感動したことは嘘じゃないと思うし、感動するのは自身の特性からも生じることだろうけど。

フィクション系の本を読むことで得られた感動を実生活にフィードバックさせることなんてできずに、同様な感動を新たにフィクションの中に求めるばっかりな気がする。「それで何か問題があるのか?」といわれれば、問題がない気もするんだけど。でも、これじゃ駄目だって、思う。


逃避の読書の時間というのは甘美ではあるが、やっぱり逃避。問題を後回しにしているだけだ。

まぁ、とりあえず、目の前のto doリストを少しずつ片付けましょうかね。