どうでもいいや、って気分の時もある8

  • 大体問題は自分に帰着させることができるけど、それはそれで寂しい。怒る原因はほぼ自分。最近、ちょっと暴走気味かも、私。気をつけよう。
  • 誰にけんかを売ってんだ?単なる愚痴?馬鹿みたい。一人相撲?ため息。
  • 「反省しない人にごめんって言われてもね」・・・危険だなぁ。
  • 最近怒りっぽいかも。そのために布石は打ってあるけど。
  • 怒るべきことに怒れ。当然?器が知れる。
  • 人それぞれ、問題意識は違う。まぁ、他人は他人だし。どうでもいいじゃない、ってって思うくらい、なんてね。
  • 他人のページ。そういうのがつまらなくなるのって普通。っていうかむかつくようになるかも。でも、それは自分のサイトでも言えること。自分のページがむかつく。たぶん、誰かも私のページをむかつきつつ読んでいるだろう。
  • 何でそういうどうでもいいことに時間をかけるんだ。馬鹿みたい、って他人のことを気にするどうしようもないやつ。自分の目的をしっかり見つめて達成しろよ。
  • 何を書けばいいんだろう?それがわからない。
  • 私のページがつまらないのは読んでいる人がつまらない人間だからではない。この文章に読者の興味を惹くようなことが書いていないから。
  • 人に価値観を押し付けるなというが、人の存在そのものが価値を表すものであるということから、その人が存在するだけで価値観を押し付けるという要素もある。
  • 私があなたにプラスの関与をするから、あなたも私にプラスの関与をしてよ、って言うのは甘えなのかなぁ、って思うようになった。まぁ、見えないところで効果があると信じましょうか。
  • これは昨年作った文章とか。成長がないなぁ。むぅ。少なくとも制御がされていない。目的が希薄。暴走気味。何を表現したいの?その手法は妥当?ただの独りよがりでは?読んでもらう対象はどういう集合?私は職業作家であるわけでもないし、文章を売って生活しているわけでもない。深く考えられていない駄文を垂れ流ししようが、別にたいした影響があるわけではない。ただ、こういうので安易にストレス解消はよくないかな、って思う。「自分を分かって」というのはうんざりすることもしばしば。あれだけ書いといて言うのかよ、って気もするだろうが。おなじ場所で足踏みしている感が否めない。
  • 同相性を見ると嬉しくなるのは何故だろう。Rさんのページはその素朴な疑問を呈する力がすごい。その疑問を支える論理性と知性がすごい。正しく問うことがどれだけ難しいか?そして、その問いを真正面からぶつかっていける自信がすごい。論理性の教育というか訓練を受けている感じ。それとも天性のものかな。
  • 人間の心と脳の仕組みについて興味を持ってきたので勉強したいところ。私みたいな人は10勉強して1出す、くらいがちょうどいいかな。それでも出すのが多すぎだろうか。
  • いつも思うけど分かってもらうように書くのは面倒だ。読者を想定できればその人にむけてちゃんと書くよ。私のページにアクセスしてコメントしてくれれば、その人に対してわかるように説明しなおすよ。でも、そういうのがなければ、適当になるかも。分かる人だけわかればいいし。傲慢というか、面倒と言うか。あのね、丁寧に説明しすぎては逆に失うものもあるのだよね。もちろん、多くの人が読んで楽しめる文章と言うのもあるよ。でも、私はとてもじゃないけどそんなの書くつもりはないし、とてもじゃないけど、そんなものかくちからもないし。世界の一人でもいいから、かな。その人に伝われば、もう十分。で、目標なんですが。この手の言葉にするのは嫌なんですよね。普段の行動の足しになるようなものにしたい。がんばる力になるようにしたい。だったら、ジョギングでもしたほうがいいかもね。ほんとそうだ。
  • いらいらしてばかりだけどそれは同じことで、周りがのろのろうだうだしているからかな?そして同じ文句を言ってしまう。意見も効率的に言うべき?
  • もっと効率よくやればいいのに、って思うけど、私自身があまり効率よくないかも。
  • 欠如がある、欠陥があることが。際立たせる。それを補おうと思うことが強さになる。
  • 私が人を怒らすのは異様な価値観のためだろう。
  • いつのことであったか。某所で忘年会とか言って3人で集まる。ちょっとだけアルコールも飲んで、馬鹿っぽく私だけ酔っ払っているという不思議な状況。だって飲んだお酒がかなり私の口にあうんだもの。大人になれない私に、いろいろ説教をしてもらうという感じかも。飲み屋さんから出て駅まで歩いているときに、つい「心をカスタマイズ」って言う言葉を使ったら、「その言い方は嫌だ」と言われてしまった。うーむ、確かに言葉選びは良くないかもしれないけど・・・。本当はその後、『心の仕組み』を読んだときに感動したことを言おうと思っていたんだよね。でも、なんかいう気が萎えてしまった。私も相手を萎えさせて、相手を黙らせてしまうことがたくさんあるんだろうなぁ、って思った。
  • いつのことであったか。友達と会う。ん、なんか変だな。なんか不機嫌な匂いがする。匂いって言うのも変だね。目に見えるほど明確ではないけど感じるということを言いたいのかな。前回と違って今回は比較的面白いお話をそろえたつもりなんだけど。このレベルではつまらない、ってことかな。何が不満なの?わからないなぁ。自分に即したことを言え、ってことかな。私が知っているその人のことを一生懸命考えた上で話題を集めて話し方も考えて話したのだけど・・・。
  • 「なんで知らないの?」とかね。たとえ、それがその学問を学ぶ上で基礎的な知識だったとしても、その知識がないというだけで非難するのはやだ。でもさ、それだけではなくて、他の知識もたくさん足りないとしたら駄目でしょう?"何かに苛立ちを覚えるというのは1つの原因からではない。他者の欠点だけではなく、自分の長所短所も苛立ちを発生させることがありうる。苛立ちを覚えるのは仕方がないこと、っていつも思う。でも、それをどういう形に持っていくかが大事。大人であれば、時間をずらして発散することもできるだろう。改善するために適切な方法で言うことも可能だと思う。暴力の行使が楽しいときもあると思う。
  • 何が分らないかを気がつくことが勉強する意味の1つ。それを解明するのが研究。ちゃんと研究データを引き継いでね、って言ってもそれを引き継ぐのは簡単ではないよね。引き継ぐってどういうことなんだろう。いつも結局やってみないと馬鹿にはわからない。というより、実際に手を動かしてやってみることにより予期していた以上の情報を得ることができる。「騙されてみたと思ってやってみろ」で騙されることもあるだろうけど、やってみないとわからないことがたくさんある。
  • なんで私が意味づけしてやらなければいけないんだ。なんで、こんなこと書かなあかんのだろうと思いつつ書いてしまえって感じ。勉強とかはべつに研究室にこなくてもできます。人によってはそれのほうが能率が上がるというかもしれない。でも、それって何か見落としていないか?研究室に所属しているってどういうこと?さて、勉強するとはどういうことなのだろうか?理解するとはどういうことなのだろうか?それはそれで私には考えがあるけど、とりあえずおいておこう。私が言いたいのは「誰かに説明する」ということが勉強の1つの方法であるということ。これは家庭教師とか塾講師とかやったことがある人なら体感していることだろう。ある人にとっては当たり前だと思うし、もっとその先のことを考えられる人もいると思う。でも、20を過ぎたらこういう要素に気がついていて欲しいと思う。そして、研究室というのは普通の企業と同じように、少しずつ発展していかなければいけない。自分が先輩から教えてもらった技術とか知識にプラスして後輩に与える。もちろん全てを伝えることは無理だけど、そういう要素を忘れてはいけない。
  • 絶望とかその種の言葉を安易に使っている人を見て、イライラしてしまう人も世の中にはいるでしょう。
  • 「そんなに自己卑下をしないでよ」って思ったこともある。「自己卑下をして、何から目をそらしているか自分で気がついているの?」って思ったこともある。でも、そういうのも最近はどうでもよくなってきた。と言うより、自分の問題で忙しすぎる。そのうち上記の人達も忙しくなってどうでも良くなるだろう。