2002/09/01のMemo 研究とか、コネクションとか
- 研究って団体でやるものもあるけど、結局個人のものだと思う。他人と共有できるものは共有しておいたほうが便利だけど。
- 他人に命令できないのは自分に自信がないから?どうでも良い雑用ばかりしているのはそれを免罪符にしたいから?
- わけわからんにょ。
- 「研究にはコネがやっぱ必要だよ」って言われた。あと「後輩の面倒をちゃんと見るのが大事だよ」って言われた。
- 私は後輩を面倒見れるほど能力のある人じゃないけど、できる限りのことはしたいものです。他人の世話をすることが私の力になることもあるし。せめて誰かにお世話になった分だけでも返さないとなぁ。でも返し方というものはいろいろあるのだとは思いますけど。-たとえ指導教官がドクターに行くべきといってもそれを鵜呑みにするのはおかしいです。研究室のボスというものは教育者という面も備えますけれど、自分たちのグループの強化というのも当然考えていますし、考えるべきです。ただ、それに一学生が乗るか乗らないかは各個人に任せられています。
- 先ほど書きましたがあくまでも研究とは個人のものだと思います。ただ、多者が集まらなければできないような成果もあるじゃないか、という意見もありますけど。
- ただ、無能な集団が集まってもあまり意味はない。力のある研究者が有機的につながるなら意味があると思いますが。
- まず、ある程度成熟した個人がありそれでグループの意味が生まれると思う。もちろん、グループは教育的な側面もあるけど、それはそれというか、ぼんやりしていも大して得るものはない。
- 先輩たちと話していていつも思うのは、私は決定的な情報を引き出すための交渉力も交渉材料も持ち合わせておらず、ただただ一般論を繰り返すのみになってしまうこと。相手の何かを引き出すためにはこちらの重要なカードを効果的に出さなければ何にもできない。
- 誠実でありたいと思うけど、ある瞬間だけ誠実であっても仕方ないわけで生活スタイルそのものが信用を置けるか置けないかに関わる。
- 持ち札をできるだけ増やさなければいけません。馬鹿な人やどうしようもない人に勝っても意味などありません。自分の価値なり熱意なりを相手に伝えるためには何らかの行動が不可欠です。
- つまり、ただただ不平を言っても始まらないし、全て自分ができることを行ってから不平を言いたいです。