『カウボーイビバップ劇場版 天国の扉』

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問題はビンセントに共感できないというところなのです。あと、エレクトラも分かりにくい。

気をつけなければいけないのは、言っていることが思っていることではないという(当たり前なんですが)ことですね。ある意味言葉が理解を阻害するのです。4回みて、だんだんビンセントの感覚が分かってきた。やっぱり言葉にしてしまうとだめなんだけど、耐え難いの喪失感があるわけなんですね。

あんまり良くない癖かもしれないけど、悪役には悪役の理屈が欲しいと思ってしまいます。悪役の理屈は認めてはいけないのですが、完全には否定しきれないという程度の背景は必要です。もし自分がその立場だったら?

これはテロとかでも思うんですけどね。無差別に人を殺すような理屈はないだろうと思っていて。復讐はある意味分かりやすい感情だからいいんだけど。

戦闘シーンってあんまり興味ないんですけど、スパイクとビンセントの得意技が別みたいというのにやっと気がついた。うーむ。

「もしかして、ここでは強がっているけど、孤独を感じているのかも?その兆候はあった?すこし複雑な気もするけど、これがこの人の孤独?悲しみ?」

映画って二時間程度ですけど、それが「目」を使うぎりぎりの線なのかなって思います。

絵の動きと音楽と台詞で伝えるわけですが、私はどうも言葉、そして音楽に気をとられてしまう。ようするに顔とか、その状況で人間の内面を想定できないのですね。

私のお話のテーマに何回かなっている「伝えたいけど伝わらない状況」、「わかって欲しくないけど伝わってしまう状況」というそこら辺のことを、言葉で言われるといやだ、ていうのはわかります。でもそれが伝えたいことなわけであって、誘起させたい感情なわけであって、ダイレクトにいわず外堀を埋めながら唯一の伝えたいことを感じさせるわけですね。

人の顔と壷を同時に描いた黒白の絵とか、ありますよね。ああいうのも表現として面白いと思いますけど。

ゲームとか映画の音楽というのは映画作品を成立させる記号としてあるわけだと思うのですが、それだけ聴いていても楽しかったりしますね。でも個人的には最低20回くらい聴かないと曲って染み入ってこないことがおおいですね。逆に特に興味ないのでも何回も聴いていると、だんだん好きになってきたりします。

だから好きとか嫌いとかってかなり恣意的で自分で自発的に選ぶものだと思う。

何がすきか嫌いかとか必要に迫られなければ決めなくてもいいんだと思う。数学が好きとか嫌いとか別に考える必要さえないと思う。

絵とかも長い時間みないと見えない。漫画も読み方があるって気がついたのはかなり遅いです。ストーリとか台詞とか絵の単発的な綺麗さとかは分かるんだけどそれ以上のことはわからなかった。こまとこまのつながりというかダイナミクスみたいなのがあるんだなぁ、と。台詞やストーリ上の複線がこまわりなどで表現されるというところがあるんだと。