身の振り方

掲示板でこんなニュースを知る。
「大学教授の給与は1000万から1300万?」
http://nice55.ameblo.jp/entry-b89c75c82b717ffdc5fa82394e566ed2.html

まぁ、それはそれとして。

一般企業で使える・使えないドクター。アカデミックで使える・使えないドクター。そういうふうに分けると、どういうふうに分布するのかな。つーか、こういう単純な分類ははっきり言って意味がないのだけど。

  1. 企業もアカデミックもOK
  2. 企業はOK、アカデミックは駄目
  3. 企業は駄目、アカデミックはOK
  4. 企業は駄目、アカデミックも駄目

他の分野のことは知らんけど(物理のこともよく知らんが)、2:2:5:1って感じだろうか。当然ながら、使えるか使えないかは二者択一じゃないだろ、というのは分っております。分布、分布、分布が大事。平均も大事だけど、分散も大事。

まぁ、日本としては一番最初の人が多くなることが望ましいのだと思うのだけど、現状は3番目をせっせと量産しているのではないだろうか。つーか、二番目は養成できないかな?企業が育成すればいいのだね。4番目・・・。

官庁関係でドクターを優遇する措置とかしないのかなぁ。せめて、生涯賃金が博士を持っていない人とトントンになるくらいの手当てをあげるとか。


「中西先生へのインタビュー」
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/YNU_intarview.htm

例えば、大学院なんかで、ある程度一つのことを極めた人が集まって、社会的な問題、関心、ということを一つの軸にして、別のことも自分のものにしていくみたいな場を作っていかなければいけないのではないかと思っています。

最初から、あんまりゼネラリストをつくっても、教育にならないでしょう。それぞれの分野の発達というのがあるわけです。本当に望ましいのは、1、2年社会に出て、自分の関心というのはこういうことにある、企業での金儲けでもなんでも良いんですが、そういうものをある程度熟成して、そういう人たちが集まって、他の分野も勉強して使えるようになる。

そういった集団が、大学の先生になるだけではなくて、役所や国際公務員や企業の経営者など、ある実務をになう部分に供給されると非常に良いなと思います。

中西さんが考えていることが一般的になるのっていつのことなんだろうか・・・。大学院(大学)が優秀な人材を社会に供給するようになって欲しいと思う。



もともと優秀な人はさらに自分を磨いて能力をつけることができる。でも、そういう人たちってだいたい1/3くらいかなぁ、って思う。

あとは平凡な1/3と、駄目駄目な1/3がいるわけで、その人たちを何とかできないのかなぁって思う。まぁ、そういう人たちは、大学院に入れなければいいという考えもあるけどね。

でも、まぁ、それだったら、学部時代にもう少し(検閲削除)でもいいと思うんだけどなぁ。うーん、誰が大学院重点化とか言い出したんでしょうか。

私は、学部時代の教育システムに特に文句があるわけじゃないんですけど・・・。私が入った大学は私の能力に比してレベルが高かったと思います。だから、けっこう(というかかなり)基礎的なところで躓いてばかりいた気がします。そういう私でも単位を取得できてしまいます。でも、卒業するには、やっぱり最低限の能力が備わっていないと駄目だと思われます。そういうのを卒業研究を通して、足りないところを補っているのかなぁ、なんて思っています。まぁ、本当に補われているかはさておき。

落ちこぼれ気味な私がドクターとかとることになった、というかとれてしまったのは(検閲削除)という理由があったりしますがそういうのはおいておきましょう。

大学の先生は馬鹿ではないです。システムの問題点は知っていると思います。でも、有能な1/3の人たちを仕事ができるようにするので手一杯なのかなって思います。


「いろいろ知っていたら、私の選択肢も違ったのになぁ」って思うこともありますが、それは考えても仕方がないこと。情報をがんばって集めなかった私が悪いのです。とりあえず、自分自身の現状と未来を改善するためにいろいろ考えましょう。