定義を見直すことから考える

愛国心って何でしょうね。
歴史を知らなくても愛国心を持っているって言ってもいいですか?

私は日本人ですけど、毎日パスタやラーメンやパンを食べていても、
愛国心があるって言っていいですよね。
日本酒以外のお酒を愛好していても愛国心があるっていいですよね。

愛国心があるって、口で言えば、それはあることになるのですか?
それを証明するにはどうすればいいのですか?
愛国心試験とかあるのですか?
日本の国歌を歌い、国旗を掲げれば愛国心があることになるのですか?
税金をたくさん納めれば愛国心があることになりますか?

国は・・・私を愛してくれるのですか?
決して手を差し伸べてくれない神様よりも、
私に具体的な援助をしてくれるのですから
愛してもらっているって言ってもいいのですよね。ね?

国は、すべての国民を平等に愛するのですか?
そうではないのですよね?
愛国心を持っている人を愛するのですか?
愛国心の定義によりますよね?

誰が、それを定義しているの?


・・・

もっとも強い人の定義が、もっとも強い組織の定義が、人の印象の総和が定義となる。


・・・

良い?争点を提案した人は、争点に巻き込まれた人より強い。

つまり、つまり?

「如何に多くの人を巻き込む争点を提案するか?」が戦いの決め手。

・・・

相手は、議論に矛盾があろうが、論理的におかしかろうがどうでもいいと思っているかもしれない。

定義とか、そんなことを考えてすらいないかもしれない。

あなたは、そんな相手とどう戦う。

・・・

相手の非を認めるだけの証拠がそろうころには、その問題は過去のもの?
誰も、そんな問題を気にしている人はいない?
如何に、感情的扇情的に取り上げたとしても。

では、どういうふうに戦う?

・・・

どんな戦略をとるのか?
それは趣味にもよるかもしれない。
いくつもの禁忌を抱えているような人は、自由に動けないかもしれないけど、
何かを制限することで、強い力を得られるかもしれないよね。

・・・

目の前の敵とは戦わない、って戦略もあるの。
でも、それを推奨したいわけではないけど。

私が与えられた条件下で、勝利条件を何にするか?
目的は何にするか?

目的を選ぶことができることが人の自由。
食欲、性欲、名誉欲などいろいろある。
肉体の束縛条件や、文化の束縛条件がある。

目的を考えて、その達成条件を考えよう。戦い方を考えよう。
目的を小さく分解してみるのも面白い。その目的はどんなふうに成っている?

自分で、自分の目的を吟味する。
それは単純なことじゃないかもしれないけど、
それが、戦いに行く前に必要なこと。
そして、歩き続けながら考え続けること。
適宜修正していくことも必要。