お酒を飲ましたり飲んだりして何が楽しいんでしょう

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お酒を飲ましたり飲んだりして何が楽しいんでしょう。その応答はいまいち理解できません。否定はしませんが。自分が飲まされるわけじゃないので。どこら辺が面白いのか今度きいてみようかなぁ。そもそもあれが楽しいことだと思っている人は世の中にはどのくらいいるんでしょうか。常識だとして皆が面白いと思うべきだと思う人はいないと思いますが。世の中の全てのことにたいして理解できるとは思いませんが、身近にそういう人がいるならばそれなりの配慮をするために気持ちを汲む必要があると思われます。阿吽の呼吸というかとても難しい背景があるのかもしれません。お酒はどういう機能をもつのでしょうか。身体に対する機能。それに付随した精神に関する機能。人間関係に関する機能。を軸に考えていけばよいように思います。まずお酒を飲めば血管は拡張され動悸は激しくなり、体の凝りもほぐれます。思考は鈍り、体はあまり制御が利かなくなります。妙に楽観的になったり楽しくなったり、哀しくなったり孤独になったり妄想にふけったり普段とは違った精神状態になります。饒舌になる人もいるでしょう。そのせいでお酒の席、という場が生じ、他者との関係が普段と変わります。その中にお酒を飲めること、たくさん飲めること、または無理して飲むことがすごいことである、という基準が生じえるのかな?飲んで飲ませてというのは信頼関係の確かめ、一つのグループに所属していることの確認などをいみするのでしょうか?お酒が媒介する人間関係についての本とかで面白いのがあったら読んでみたいなぁ。お酒を飲むのは 2時間程度の間でもその後それを体が処理するために時間が結構かかりますし精神状態も普段とは異なった状態になります。人間関係や付き合い上飲む必要がありますが、流されるままに付き合っていてはやってられません。付き合い上情報交換上重要、または時間をつぶす価値があるほどどうしても飲みながら話すのが面白い、というのなら飲みますが、飲むために飲むという感じのスタンスはなじめません。祭りに付随するものということなら飲まないわけにはいかないのですが。だらだらわけもなく飲むにはあまりにも時間とお金の無駄です。飲んで他人に迷惑かけるのも嫌です。私も飲めないので結構迷惑かけましたが。迷惑かけてそれを認識できないのも嫌ですし、迷惑かけといてそれにたいして償おうなんて思わないのも嫌です。酒の席だからといっても、やはりそれだけではすまないでしょう。話はお酒から少しそれて、他者との交感にはやはり媒介が必要となります。それはお酒の時もありますし、共通(共有)体験でも良いですし、まぁ、いろいろなものがあるわけです。無人島についた赤の他人の2人が、同じ映画を見ただけでそれの話題を話すことができるでしょう。一つの交感の媒介モデルを理解したのなら他のモデルを理解はできなくてもある程度想定承認容認黙認することはできるはずです。自分がその交感の型に対して愛着をもっていても、他者がそれに対して愛着を持っているとは限らず、逆に敵意悪意害意を持っている可能性だってありうるわけです。一般的に認めうる価値だとしても、それを好ましくないと考える人はいるかもしれません。どこまでが一線かは難しいところですがそれなりに配慮できたらよいと思います。