20答法

http://www.englishatheart.info/diary/050711.html

すべての人間の「自己」は質量も体積も持ち合わせてはいない。ある種の関数である。ある経験が入力されればある方式で反応を出力する、その方式自体がその人間の「自己」である。〆切が迫れば胸が詰まり、揶揄されれば言葉に詰まり、月末には金に詰まる、そうした経験への反応の総体としてしか自己は定義できないだろう。しかも、入力された経験の多寡によって、その性質によってその関数自体が変わってくる。以前は胸が詰まったが、父親の死を乗り越えて、そんなことには動じなくなった、などの例は山ほどあろう。あらゆる身体的、精神的刺激に対する反応の総体、しかも時系列上で刻々と変化し、異なる座標点でまったく異なる総体を生み出す或るもの。そうしたものを「理解」「把握」することが可能であるか。たとえその暴挙を試みる者がその本人であったとしても。

面白い。というか、かっこいい。私の人間の捉え方と近い気がした。同じじゃないけどね。